2009年12月19日土曜日

【西松事件】 初公判

小沢氏秘書 初公判
2009.12.18 14:13
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/091218/trl0912181415017-n1.htm

 《小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」などの政治資金規正法違反事件で、同法違反(虚偽記載など)罪に問われた陸山会の元会計責任者で小沢氏の公設第1秘書、大久保隆規被告(48)の初公判が18日午後、東京地裁(登石郁朗裁判長)で始まった。西松建設からの企業献金を隠すため、ダミー団体を通して受け取っていたとして起訴された大久保被告。公判前から「やましいことをした覚えはない」などと主張しており、公判では検察側と弁護側が全面対決することになる》

 《大久保被告は今年3月、東京地検特捜部に逮捕・起訴された。当時同党代表だった小沢氏は代表辞任に追い込まれたが、当時野党だった民主党の政権交代の機運が高まっていた時期だったことなどから、同党側や一部マスコミが「国策捜査だ」などと猛反発。小沢氏も「一点のやましいところもない」などと述べている》

 《献金した西松側の公判は、すでに終わっており、国沢幹雄元社長に同法違反罪で禁固1年4月、執行猶予3年の有罪判決が出るなどし、全員の判決が確定。残る大久保被告の公判の行方が注目される》

 《午後1時28分。東京地裁104号法廷には、登石裁判長らと検察官、弁護人双方がそろっている。大久保被告が入廷してくる。濃いグレーのスーツに、ストライプのネクタイ。眼鏡をしている。固い表情で、まっすぐ証言台へ向かい、裁判長の方を見据えて立つ。それを確認して、登石裁判長が開廷を宣言する》

 裁判長「それでは開廷します。名前を確認しますので、名前を言ってください」
 被告「大久保隆規です」
 裁判長「職業はありますか」
 被告「国家公務員です」

《大久保被告ははっきりとした口調で答える。職業は「国家公務員」。衆院議員の公設秘書は国家公務員だ》

 裁判長「では検察官は起訴状を朗読してください」

 《検察官の1人が立ち上がる》

 検察官「被告人、大久保隆規は第1に…」

 《起訴状などでは、大久保被告は平成15~18年、陸山会と民主党岩手県第4区総支部(4区支部)などが、西松から受けた3500万円の献金を、ダミー政治団体から受けたと政治資金収支報告書に虚偽記載したとされる。このうち、平成18年10月ごろ、陸山会で受けた100万円は「政治家個人への企業献金受領」、4区支部で受けた200万円は「第三者名義寄付の受領」に当たるとされる》

 検察官「第2に…」

 《検察官は、第1と第2の2つに分けて起訴内容を朗読していく》

 《これまでの検察側の主張では、西松の不正献金は9年ごろから、岩手県と秋田県の公共工事受注で小沢事務所から「天の声」を得るため行われており、大久保被告は12年ごろから関与したとされる。このうち、虚偽記載罪の公訴時効5年にかからない平成15年以降の3500万円分が起訴された。「政治家個人への企業献金受領」「第三者名義寄付の受領」は公訴時効3年のため、18年10月分だけが起訴されている》

 《公判の争点は、(1)本当に献金を行ったのは西松建設で、「新政治問題研究会」(新政研)と未来産業研究会(未来研)という2つの団体はダミー団体だったのか(2)大久保被告は、それを認識していたのか(3)過去の政治資金規正法違反事件に比べて、悪質性が低いのに起訴している「公訴権の乱用」にあたらないのか-という3点》

 《検察官の起訴状の朗読が終わる》

 裁判官「いま読み上げられた起訴状の内容について、あなたとしてはどうですか」

 被告「事実の第1、第2についても…」

 《大久保被告はここで言葉を飲み込み、黙り込んだ。30秒近い長い沈黙。それからまた口を開いた》

 被告「新政治問題研究会についても、未来産業研究会についても、寄付を受けて、その通りに政治資金収支報告書に記載したものです。検察官は『西松建設から寄付を受けたと知っていた』といいますが、私は、政治団体の寄付で西松建設の寄付とは思っていませんでした。政治資金規正法に違反するとはまったく考えておりませんでした」

 《大久保被告は、はっきりと起訴内容を否認した》

 《大久保隆規被告(48)の罪状認否に続き、弁護人はあくまで政治団体「新政治問題研究会」(新政研)と「未来産業研究会」(未来研)は、西松建設とは別の団体だと主張。「大久保被告が意図的に虚偽記載を行った事実はなかった」という点を強調した》

 《裁判長に促され、大久保被告は被告人席に着席した。続いて検察側による冒頭陳述の朗読が始まった。大久保被告は体の前で軽く手を組み、検察官をにらみつけるようにじっと冒頭陳述の朗読を聞いている。検察官は目を合わせることなく、大久保被告の身上経歴に続き、2つの政治団体が、西松建設のダミーであるとする根拠を指摘していった》

 検察官「新政研と未来研はいずれも政治団体としての実体はなく、西松建設の意思に基づいていた」
 検察官「いずれの団体も平成7年の政治資金規正法の改正により、企業献金に関する規制が強化されるとともに公表基準が厳格化された後も、その名を伏せて政治献金を行うことが目的で設立されたものだ」

 《続いて、検察側は2団体による献金は、西松建設の資金から拠出でされたとの説明を始めた》

 検察官「西松建設は会員名を公表する必要のない会費名目で新政研・未来研名義の献金の原資を調達することとし、幹部従業員のうち口が堅く信用できる者を選んで会員とした」

 「西松建設は政治資金パーティーの対価支払いの名目でも資金を捻出していた。2団体の献金はすべて西松建設が決定し、金額などを指示して振り込み手続きをさせていた。当時、代表取締役であった国沢幹雄らの指示・了承の下で行われていた」

 《西松建設の国沢幹雄元社長(71)は政治資金規正法違反罪などで禁固1年4月、執行猶予3年のすでに有罪判決が確定している。検察側の冒頭陳述は、国沢元社長の初公判で行われた冒頭陳述の内容とほぼ重なっているようだ》

 《続いて検察側は民主党の小沢一郎幹事長側の献金受領の経緯に進んでいった》

 検察官「本件(起訴事実)を含め、平成7年以降に西松建設からの寄付を受けた小沢議員側の政治団体は5団体あった。衆議院議員会館の事務所や赤坂事務所、岩手県内の水沢事務所などの拠点を有していた」

 「赤坂事務所は(小沢氏の資金管理団体である)陸山会のほか、いずれも大久保被告が代表を務める政治団体の主たる事務所であった。赤坂事務所は、小沢事務所の政治献金受け入れ事務のほとんどを取り扱っていた。大久保被告が上司としてこれらの事務を統括していた」

 《大久保被告は、献金の受け皿となる陸山会の「金庫番」だけでなく、岩手県で地盤を守り選挙を取り仕切る「地元秘書」、複数の関連団体のトップという3つの“顔”を持っていたとされ、検察側は民主党の小沢一郎幹事長をめぐる「利権」のキーマンとみている。秘書仲間から「小沢秘書軍団の要」「お目付役」とも評されていた所以(ゆえん)でもある。続いて検察側は、西松が違法献金を始めるようになった過去の経緯を説明していく》

 検察官「小沢事務所は公共工事における決定的な影響力を背景に、ゼネコンに要求して選挙の際の支援や多額の献金をさせていた。岩手県内の公共工事では、昭和50年代終わりころから小沢事務所の意向が、(受注)業者選定に決定的な影響力を及ぼすようになった」

 「小沢事務所はゼネコン各社から陳情を受けて、特定のゼネコンに工事受注の了解を与え、ゼネコンがこれに従って談合をとりまとめるのが常となっていった」

 「ゼネコン業界では、小沢事務所の工事受注の了解が、本命業者を決定するいわゆる『天の声』とされていた」

 《こうした現実があったことから、西松建設は7年、小沢氏側への献金の増額を決定、新政研名義などで計1019万円の寄付を行った-。その結果、さらに岩手県発注のトンネル工事を受注できたため、8年には寄付の額を計2812万円に増やした-。淡々と説明していく検察側。国沢元社長の公判と同様に、献金が「賄賂」に近い性格だったと強調した》

 《続いて検察側は、「天の声」がどのようにして出されていたかの説明に移っていった。大久保被告はここまで、身じろぎ一つせず、検察官から目をそらすことはなかった》

 《検察側の冒頭陳述が続く。小沢(一郎民主党幹事長)事務所が影響力を使って公共工事の受注会社を決める『天の声』を出していたという過去の経緯を説明していく。被告席の大久保隆規被告(47)は、じっと聞いているが、時折、口をすぼめるようなしぐさを見せる》

 検察官「小沢事務所は西松建設側から多額の献金を受ける一方で『天の声』を与え、談合の仕切り役である大手ゼネコンA(公判では実名)に談合をまとめさせ、同社をスポンサーとするJVに工事を落札させていた」

 《検察側は実際に大久保被告が「天の声」を出すようになった経緯を説明していく》

 検察官「大久保被告は平成11年に小沢氏の私設秘書となったが、12年の衆院選で、ゼネコンに工事受注の了解を与える一方、選挙協力や多額の献金を要求する役割を担っていた○○(小沢氏の元秘書)が(衆院議員に)当選したことなどから、後任として役割を継いだ」

 「13年ごろ、大久保被告は年間2千万円程度の献金を小沢氏側に行っていた大手ゼネコンB(公判では実名)から、岩手県立病院工事の受注の了解を得たいと陳情を受けた際、『私が○○さんとチェンジすることになった』と了解を出す役割を継いだことを説明。同社を筆頭にしたJVが約56億円で工事を受注した」

《さらに、検察側は、大久保被告がどのように受注業者に影響力を発揮していたのか、説明していく》

 検察官「16年ごろ、小沢氏側への『献金額を大幅に減らしたい』と申し入れた同社担当者に、大久保被告は『何だと、急に手のひらを返すのか』と怒鳴りつけて拒否した」

 「14年ごろには小沢氏側に年間500万円程度の献金をしていた大手ゼネコンC(公判では実名)に、同社が施工した東京都内のビルの1フロアを『小沢事務所が購入したい』と申し入れたが断られたことから、同社に『この件ではもうだめです。奥座敷には入れさせません』と言った。同社に工事受注の了解を与えない旨を言い渡し、実際、同社は同年中の岩手県発注の工事を受注できなかった」

 「その後、15年に同社に『担当者が代わったわけだし、関係修復を図りたい』『年間2千万くらいお願いしたいのですが』『協力してくれれば、また土俵に上がっていただこうと思います』などと言って、献金額を年間2千万円に増額するよう要求した」

 「同社は、この要求を受け入れざるを得ないと判断して献金を増額。その後、(岩手)県発注のトンネル工事を受注希望した同社に了解を与えた」

 《検察側が立て続けに説明したゼネコンとの具体的なやり取り。しかし、2社だけの話に終わらず、この後もさらに他の業者への“圧力”も明かされた。その上で、西松建設が小沢事務所の「天の声」で工事を受注していく経緯が明かされる》

 検察官「大久保被告は西松建設から陳情を受け、(岩手)県発注のトンネル工事について了解を与えた。同社担当者は、談合の仕切り役だった大手ゼネコンAの元東北支店次長(公判では実名)にその旨を伝え、同社を本命業者とする談合を取りまとめ、同社をスポンサーとしたJVが工事を受注した」

 「その後、大久保被告は同社から(岩手)県発注の遠野第2ダム工事について、受注の了解を得たい旨の陳情を受け、17年ごろ、『よし分かった。西松にしてやる』と了解した」

 《さらに、虚偽記載を行った経緯も説明される》

 検察官「大久保被告が小沢氏の私設秘書となった11年当時、西松建設側からの献金窓口は別の私設秘書が務めていたが、遅くても14年ごろには大久保被告が窓口の役割を引き継いだ」

 「そのころから毎年、大久保被告は西松建設側に年間1500万円の寄付を依頼。どの(政治献金の)受け皿団体に、同社側から新政治問題研究会(新政研)や未来産業研究会(未来研)の名義などでどれだけの金額で寄付を受けるか、元総務部長兼経営企画部長(公判では実名)と打ち合わせていた。(そして)その結果通りに(ダミーの)請求書を作成し、寄付を受けていた」

 《新政研などが実際は、西松だということが、小沢事務所では周知の事実だったということも強調される》

 検察官「12年から13年冬ごろまで、大久保被告の統括のもと、新政研・未来研名義の寄付の受け入れなどの事務に従事していた私設秘書は、政治団体としての実態はなく、実際は西松建設による寄付であることを同僚の秘書に伝えていた」

 「これを聞いたこの秘書は、業務用ノートに『党本部経由寄付(1)西松1500』と記載するなどしていた」

 《検察官は、再度、要点を強調し、虚偽記載を行った動機を説明する》

 「大久保被告は西松建設を含むゼネコンに工事受注の了解を与える一方、影響力を背景に選挙協力や多額の献金を行わせていた。同社は企業利益を得るために新政研・未来研名義の寄付をし、大久保被告は寄付の主体が西松建設であることを認識していた」

 「しかし、収支報告書に真実の記載をして、小沢氏側が特定のゼネコンからの資金提供が問題とされた際、小沢氏や秘書は癒着(ゆちゃく)を強く否定してきた。大久保被告もその経緯を承知していた。新政研・未来研からの寄付として受け入れた上、(小沢氏の資金管理団体の)陸山会などの収支報告書上も、西松建設の名前を一切明らかにせず、虚偽の記載をするしかないと考えた」

 《抑揚のない声で淡々と冒頭陳述書を読み上げる検察官。西松建設が献金を減らし、やめていった経緯を説明する。大久保隆規被告(48)は固い表情のまま、身じろぎもせず検察官を見据えている》

 検察官「平成17年、被告は西松建設本社に西松建設の元総務部長兼経営企画部長(公判では実名)を訪ね、寄付を依頼したが、『うちも厳しいんで今までみたいな金額では対応できなくなりました。ついては金額を減らしてもらえませんか』などと、業績悪化を理由に、新政研・未来研(新政治問題研究会と未来産業研究会)名義による寄付を減額されて欲しい旨の申し入れを受けた」

 「これに対し、被告は『まあ、おたくが厳しいのはそうでしょう。でも急に言われても困ったな』などと難色を示したものの…」 

《検察側は、大久保被告が減額自体を了承したが、減額幅の“歩み寄り”を求めたと指摘する》

 検察官「(被告人は)『急にそこまで減らされるのは困るな。もう少し何とかなりませんか』などと言って譲歩を求め、結局、同年の寄付総額を1300万円とすることで決着し、陸山会、(岩手)第4区総支部及び県連において、西松建設から新政研・未来研名義で合計1300万円の寄付を受けた」

 《平成17年末にゼネコンが「脱談合宣言」をしたことをきっかけに、西松建設が18年で新政研・未来研名義での『献金スキーム』を終了することにしたと指摘。献金終了について大久保被告に連絡をとり、西松建設本社で話し合いが持たれた時のことを説明していく》

 検察官「被告は、元総務部長兼経営企画部長から『うちも金がなくて、いよいよ厳しくなったんでゼロってことでどうですか。申し訳ないんですが、本当にうちも金がなくて厳しいんですよ』などと業績悪化を理由に、新政研・未来研名義の寄付を打ち切らせて欲しい旨の申し入れを受けた」

 《さらに、大久保被告は「いきなり今年で止められるのは困るな」と難色を示し、「今年は500(万円)で」「これを最後ということでお願いします」などと頼み込んだという経緯も、検察側は明らかにしていく。大久保被告は、そのうえで最終的に献金中止を了承したという》

 検察官「このようにして、平成18年は陸山会、第4区総支部及び県連において、西松建設から新政研・未来研名義で合計500万円の寄付を受けた」

 《最後に、検察側は陸山会や民主党岩手県第4区総支部の収支報告書虚偽記入の状況などについて説明。大久保被告は厳しい表情を変えず、検察官をまっすぐ見据えてた》

 《検察側は、大久保被告が元総務部長兼経営企画部長と打ち合わせ、陸山会名義の銀行口座に、ダミー団体の新政研・未来研名義で寄付を振り込ませ、収支報告書にも虚偽記載をしたなどと指摘。第4区総支部でも、同様に収支報告書が作成され、虚偽記載が行われたとした》

 検察官「以上です」

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 《続いて、弁護側の冒頭陳述が始まる。弁護人はときおり傍聴席に目をやりながら、法廷によく通る声で読み上げを始めた》

 弁護人「弁護側が申し述べるのは全部で5点です」

 《弁護側は大久保被告への起訴が無効だと主張する「1番目の理由」として、新政研や未来研名義の献金額が、他の団体への寄付額と比較して、大きくないことを挙げる》

 弁護人「検察官は新政研および未来研が陸山会に対して行った寄付および岩手県連に対して行った寄付が金額という点で突出していると主張するが…」

 「起訴の対象である平成15年から18年までの4年間に新政研および未来研が陸山会などに対して行った寄付金額は合計3500万円であるところ、同じ期間に他の政治団体等が受け取った寄付等の合計金額は約7860万円であって、本件各寄付および岩手県連に対する寄付の金額が突出しているとは決していえない」

 《2番目の理由として、弁護側は、過去の同様事件と今回の事件を比較する》

 弁護人「従前、政治資金収支報告書虚偽の記入をしたとして虚偽記入で公訴提起された裏献金事案は、弁護人の知る限り、ほとんどが1億円を超える事案である」

 《それに対し、弁護側はこれまでの裏献金の事案とは性質がまったく違うなどと主張した》

弁護人「3番目の理由。検察官の本件取り扱いは著しく不平等であって、違法であることです」

 「被告人は本年3月3日の出頭直後に逮捕、勾留され、任意の事情聴取が行われることなく拘束され、捜査差し押さえという強制捜査によって早期に証拠保全が図られた」

 「一方で、新政研および未来研が寄付などを行った他の政治団体などはそもそも捜査対象とされず、不問に付されたままである…」

 《大久保被告の表情は硬いまま。椅子に深くこしかけ、まっすぐと前を見据えたまま身を固めている》

 弁護人「次に、4番目の理由です。検察官が主張する本件の『悪質性』なるものは一切存在しないこと」

 「(検察側は)東北地方には昭和50年代から談合組織が存在し、平成12年6月までは小沢議員の元秘書が、それ以降は被告が、岩手県や秋田県の公共工事に関して、談合組織における受注者の決定権限を有しており、被告はこれを秘匿するために新政研および未来研の名で本件各寄付を行わせた、とのことである」

 「しかしながら、後に述べるように、かかる事実は存在せず、検察官の主張は失当である」

 《弁護側の冒頭陳述が続く。弁護人は時折、左の腰に手を当てながら、廷内によく通る声で読み上げていく。検察官は手元の書類をじっと見つめている。大久保隆規被告(48)は背筋を伸ばし、まっすぐに前を見据えたまま。表情はほとんど変わらない》

 《弁護側は検察が主張する「事件の悪質性」を否定するための具体的な事実を列挙していく。まずは、週刊誌の報道などを挙げ、15年ほど前に検察がこれらの事件の捜査の端緒をつかみながらも、放置していたことを指摘する》

 弁護人「今から15年ほど前、一部週刊誌が検察側が本件の背景事情として主張するような談合への関与や建設会社との癒着(ゆちゃく)について述べる記事を掲載したことがあった」

 「小沢一郎(民主党現幹事長)の元秘書は、事実無根として出版社に抗議文を送付し、謝罪広告請求を求め、地検に告訴した」

 《ただその後、ほとんど捜査が行われた形跡がないことを指摘。弁護側は本件がすでに“終わった事件”との印象を強めていく狙いもあるようだ》

 「本件で検察官が最も重きを置く『悪質性』なるものの事情につき、遅くとも約15年前までに捜査の端緒を得ていたにもかかわらず、一切捜査を行わないか、途中で打ち切っていたものと考えられる」

 《傍聴席の方に顔を向ける弁護人。力をこめて訴えかける》

 弁護側「本件公訴提起が極めて恣意(しい)的であって、公正かつ公平な訴追裁量権の行使とは決して言えないことを端的に示している。平等や公平の理念に反し、また憲法14条1項の精神にも反するのであって、検察官に合理的に認められる範囲を著しく逸脱したものであり、極めて不当であって、検察官が訴追裁量権を逸脱し、乱用して行った起訴であり、無効である」

 《冒頭陳述は、西松建設が違法献金のために設立したダミーの政治団体「新政治問題研究会」(新政研)と「未来産業研究会」(未来研)の問題に移る》

 《新政研は平成7年11月、企業献金のダミーにするために設立。11年6月には未来研を総務省に届け出たとされる》

 《両団体の代表者には、退職した西松の元営業管理部長2人がそれぞれ就任しており、検察側は一貫して活動実体のないダミー団体と主張している。弁護側は、「活動実体のある政治団体だった」と真っ向から対立する主張を展開していく》

 弁護人「新政研と未来研は、西松建設の資金とは区別して管理されていた」

 《弁護側は、すべての出入金を示す銀行簿や経費の支出を示す詳細な帳簿が作られていたことを指摘。これらの帳簿は各団体の代表者が、団体の事務所で記録していたことを明らかにしていく。具体的な活動金額も触れられた》

 弁護人「新政研は平成7年から18年の12年間にわたり、合計7378万6559円。平均して1年当たり600万円以上の人件費、光熱水費、備品・消耗品費、事務所費からなる経費を支出し、この額は毎年の支出の約1割から2割に相当した。未来研も平均して1年当たり370万円以上の経常経費を支出しており、この額は毎年の未来研の支出の約3割から4割を占めていた」

 《弁護側はさらに、両団体が東京都内で政治資金パーティーを複数主催していたことを指摘。「7年~10年間にわたり、政治活動を継続して行っていた」と主張し、検察側の「ダミー団体」との主張を崩しにかかる》

 弁護人「以上の事実から、新政研および未来研は、(政治資金)規正法に従って設立され、運営されていた政治団体であり、これを政治団体としての実体がなかったとすることは明らかに事実に反する」

 《ここでいったん間をおいた弁護人。再び左手を腰にあてながら冒頭陳述を読み上げ始めた》

 《弁護側が次に明らかにするのは、新政研と未来研の資金の出所だ。西松建設の資金を移し替えたものではないことを主張していく》

 弁護人「新政研および未来研の会費については、西松建設が直接に支払ったことはなく、必ず個々の会員の会費支払い行為が介在した」

 「個々の会員による自己資金に基づく会費支払い行為があるのに、会員による会費支払いを西松建設への資金の『移動』と評価することはできない」

 《弁護側は、西松建設社員の新政研と未来研への加入が業務命令に基づくものではなく、任意の加入であることを述べていく。「業務命令ではないのだから、西松との関係はない」という理論を展開するようだ》

 弁護人「平成17年度の会費支払い状況を見ても、検察官が主張する(本来の)『会費』に満たない額しか払っていない者が存在する上、帳簿上1円の支払いも確認できない者、また、検察官主張の金額より多く支払っている者がいる」

 《「新政治問題研究会(新政研)」と「未来産業研究会(未来研)」はダミー団体だとする検察側主張に対し、弁護側の反論が続いている。西松建設が、両団体の会費を社員のボーナス(賞与)に上乗せして、補填(ほてん)していたとする検察側の主張を取り上げる。大久保隆規被告(48)は、背筋を伸ばして黙って座っている》

 弁護人「(両団体の会費は)いったん会員の個人資金に混入した上で支払われている以上、会員個人の資金の拠出で、西松建設の資金とはいえない。特に、上乗せ賞与額よりも支払った会費が多い会員がいたとすれば、その差が個人負担であることは明らかである」

 「(西松建設は)新政研および未来研の会費に比して倍にもなろうとする金額を上乗せ賞与とするなど、およそ営利を目的とする株式会社としては考えられない行為である」

 《弁護士は右手に資料を持ち、早口で読み上げていく。次に、両団体が開催したとされる「政治資金パーティー」に触れた》

 弁護人「新政研および未来研では、政治資金パーティーのために現実に費用を支出してホテルの会議室を借り、案内状を印刷業者に依頼し、表示札も依頼したうえ、関係者が時間を割いて集まり、会食をした」

 《ここで弁護士が、ちらりと法廷の後ろ側の時計に目をやった。時間配分が気になるのだろうか》

 弁護人「パーティー券の収入には、西松建設とは別の会社が支払ったものが含まれる。平成15年から18年の間において、西松建設とは別の会社が、その資金で、少なくとも新政研に対し390万円、未来研に450万円を支払った」

 「これらの会社は西松建設の子会社であって、資本関係があったとしても、西松建設とは別個の独立した法的存在である以上、西松建設と同視することができないことは、いうまでもない」

 《ここで、大久保被告がのどの具合を気にするように、口元を手でぬぐった》

 弁護人「以上、要するに、各研究会に投入された資金のほとんどすべてが個人の資金および西松建設以外の会社の資金であるというほかはなく、各研究会の資金が西松建設の資金そのものであるとの検察官の主張は、とうてい、認められない」

 《次に弁護人は、両団体が「独自の意思決定を行っていた」との主張を始めた。医師会に対する医師連など、業界団体には、それに対応する政治団体があることを、団体の名を一つひとつ挙げて説明した》

 弁護士「業界団体が、政治団体の決定に事実上の支配力を及ぼしていたとしても、あくまでも意思決定の主体は政治団体と考えられている。すなわち新政研および未来研が、寄付などを行うにあたり、会員や西松建設側の意向に従っていたとしても、それは当然であり、それによって、意思決定の主体であることが否定されることにはならないのである」

 《弁護人は次に、「大久保被告が東北の公共事業に対して影響力を及ぼしていた」とする検察側主張への反論を始める。まず、言葉の使い方に注文を付けた》

 弁護士「検察官は『天の声』という表現を用いるが、本来『天の声』とは、『公共工事の発注権者が受注者を決める』という文脈で使用される俗語であり、日本語の使用方法として間違っている」

 《さらに弁護人は、岩手県には、当時政権政党だった自民党の国会議員らが存在したことなどを挙げ、大久保被告側に公共工事の決定権などはなかったと主張。そして、大久保被告の秘書としての前任者だった、元衆院議員の元秘書についての陳述が始まった》

 弁護人「○○(元秘書の実名)氏は平成12年6月に衆院議員に選出されて以降、小沢議員とは一線を画すようになり、15年に議員を失職する際には完全に決別し、その後、自民党に所属した。このようなことから、被告が○○氏の地位をそのまま引き継ぐことは、結局のところなく、また○○氏の公共事業に関する行動については、被告にも小沢事務所にも分からない部分が多く、弁護人らにも不明です」

 「そもそも○○氏が受注者を決定していた事実は存在しないところ、さらに、被告がその役割を引き継ぐことは、およそなかった」

 《次いで弁護士は、元秘書が、どのように陳情を処理していたか、大久保被告の時代になり、どう変化していったかの説明を始めた。大久保被告は相変わらず、背筋を伸ばして聞いている。眼鏡の向こうの表情は伺えない》

 《弁護人は、大久保隆規被告(48)が公共工事で「天の声」を出す役割を、小沢一郎民主党幹事長の元秘書から引き継いだとする検察側の主張に対して、反論を展開。元秘書と大久保被告の“引き継ぎ”の実態について、弁護人が詳しく説明していく》

 「平成12年6月に行われた衆院選で○○氏(元秘書の実名)が当選したこともあり、被告は12年7月ごろ、小沢議員の公設第2秘書となり、陸山会の会計責任者に就任した。これにより、建設会社からの寄付を含め、寄付に関する小沢議員の窓口は、表向きは被告となった…」

 《平成12年6月に◯◯氏が衆院議員に当選後、◯◯氏から被告人が陸山会の会計責任者を引き継いだ経緯を説明する弁護人。しかし、引き継いだのは形式上で、実際は引き継ぎも行われていなかったことを明かした》

 「被告は、ようやくこのころ(平成15年6月)には小沢議員の公設第2秘書として建設会社などからの陳情の窓口と認識されるようになったものの、例えば公共工事受注への力添えなどを依頼されても、実際に何かすることができるわけではなかった」

 《大久保被告が受注業者決定を左右する権力はなかったと主張する弁護人》

 「一般的に政治家やその関係者に対して行われる多種多様な陳情の受付と同様に、『陳情は陳情として承った』という意味であって、検察官が主張するような『了解』を与えたことはない」

 《弁護人は、大久保被告が岩手県発注の遠野第2ダム建設などで『天の声』を出したとする、検察側の主張を強く否定する。西松建設関係者から、「これら工事の受注について力添えをして欲しい」という陳情を受けたことは認めたものの、「天の声」を出したという意味ではないと強調した》

 《次に、弁護人は、ダミー団体といわれる新政治問題研究会(新政研)と未来産業研究会(未来研)から小沢氏の資金管理団体「陸山会」に渡った献金が、受注決定の対価ではないことを強調する》

 「検察官の主張によれば、平成11年から13年の間、そして9年や16年も、西松建設は一度も岩手県や秋田県で公共工事を受注していない」

 《さらに、一連の寄付(企業献金)は西松建設による公共工事受注(の有無)に関わらず継続的に行われたと結論づけた》

 「新政研および未来研が設立され、寄付などを行っていた一方で、西松建設は並行して、4年間、平成11年まで、毎年、継続的に小沢議員に関連する政治団体に西松建設名義で寄付を行っていた」

 「西松建設と小沢事務所の間に、検察官が主張するような、毎年一定額を寄付する旨の取り決めなど存在しなかった」

 《さらに、弁護人は、「大久保被告が新政研と未来研の資金が西松建設から出されていたことを知らなかった」と強調していく》

 弁護人「政治活動に関する寄付(政治献金)は、何ら義務に基づかない任意や好意による行為だ。寄付をしてくれる団体がどのような活動を行っているか、資金集めの方法は通常、詮索(せんさく)しないし、相手方が説明する通りに収支報告書にも記載する」

 「被告人は、寄付者は西松建設とは別個の新政研、未来研であると理解し、収支報告書に記載した」

 《続いて弁護側は、一連の献金で、西松建設元総務部長兼経営企画部長が果たしていた役割について強調し始めた》

 弁護人「西松建設や関連する会社から受領するする寄付についての請求書は、すべて元部長に一括送付していた。また元部長は、西松建設の下請け企業からなる『松和会』に関しても会員会社をとりまとめていた」

 「元部長は、例えば名称や宛先が記載された名簿を作成して小沢一郎事務所に渡したり、変更があった場合に小沢事務所へ連絡していた。寄付が前年より減額になり、終了することを被告人に告げたのも元部長であり、会員会社が被告に連絡することもなかった」

 《弁護側は「献金の窓口となっていたのは元部長で、大久保被告はその説明を信じ込み、収支報告書に記載しただけだ」と訴えたいようだ。続いて、元部長との「共謀性」について言及を始めた》

 弁護人「被告は、新政研、未来研との関係で、元部長を通じて前年の実績に基づいて寄付を依頼、お願いしていた(だけな)のであり、判断はもっぱら新政研・未来研、西松建設関連会社の一存で行われていたのである」
 「本件の寄付金額や寄付者、受け入れ先などの最終決定に、被告がいかなる形であれ関与した事実はなく、その立場にもなかった」

 《さらに弁護人は西松建設側からの寄付・献金について、大久保被告があくまで新政研と未来研からのものと信じていたと強調した》

 弁護人「被告にとって、民主党岩手県第4区総支部などが、新政研、未来研から寄付を受領することは、法律に従って正規に届けられた『ちゃんとした』政治団体からの寄付の受領であり、寄付者が西松建設と評価されるような寄付であるとは全く考えていなかった」

 「寄付の原資が西松建設の資金であるとも全く認識しておらず、政治団体としての実体がないという認識も一切なかった」

 《弁護人は「政治家秘書」の役割についても言及した》

 弁護人「被告は衆院議員の秘書である以上、常日頃、いろいろな立場の会社や団体に所属する人物に会い、西松建設からの陳情を含め、様々な陳情を受けていた。陳情に対し、実際にはできないことでも誠意を持って対応する姿勢を示すことは当然の事であった」

 「寄付は基本的には政治家の政治姿勢や政策に対する応援といった意味を持ったものであり、被告も『寄付は小沢議員の政治姿勢に対する応援である』と確信していたのである。『適正な』公共工事の実施への期待であろうと認識していたのである」

 《西松建設による献金と公共工事受注の関連について、検察側は「賄賂」に近い性格だったことを指摘していた。弁護側は、これを真っ向から否定した形だ。しかし「適正な公共工事の実施への期待」が具体的に何を示しているのかは不明だ》

 《弁護側は最後に、大久保被告が検察側の取り調べに対し1度は、2団体からの献金について「実質的に西松側からと知っていた」と認める供述をした経緯を説明した。大久保被告は再度、否認に転じたていたといわれている。検察側は西松建設の国沢幹雄前社長の公判でも、大久保被告の「自白調書」を朗読。重要な証拠の1つとみているようだ》

 弁護人「被告が逮捕・勾留された20年3月は、政権交代が近づいている時期でもありました。被告は政治的影響を最小限にとどめたいと思った」

 「特捜部の考えに基づいて書類が作られ、強制力を持った検察と対(峙)すると、第3者が事情聴取の対象となる可能性もあり、マスメディアの報道も加熱する。そういうことはあってはならないと考えた結果でした」

 《明言こそしなかったものの、弁護側は大久保被告が一時的にせよ容疑を認めたことについて、自白の任意性を争う姿勢のようだ。ここで約11分間の休廷に入った》

 《約15分間の休廷をはさみ、公判が再開。検察側の証拠調べが始まった。「ダミーの政治団体を通じた違法献金だったことを認識していなかった」とする大久保隆規被告(47)側の言い分を否定するような関係者の供述調書が読み上げられた》

 《まずは献金をした側である西松建設の国沢幹雄元社長の調書が読み上げられる》

 検察官「新政治問題研究会(新政研)と未来産業研究会(未来研)は政治団体としての実体はなかった」

 《続いて読み上げられた新政研代表の調書では、「私は届け出上の代表者だったが、献金額の決定などには一切関与しなかった」とされている》

 《さらに、西松建設従業員の調書が読み上げられる》

 検察官「西松建設から指示を受け、献金として新政研などの口座に振り込んでいた。○○(西松建設元総務部長兼経営企画部長の実名)に手渡ししたこともあった。『献金した金は、賞与に上乗せする形で戻ってくる』と会社から説明を受けていた」

 《続いて小沢一郎民主党幹事長の関連団体が受けた献金額に関する報告書が読み上げられる》

 「民主党岩手県第4区総支部の平成15~19年の政治資金収支報告書を分析すると、多くは企業献金だったことが明らかになった。献金の多くは『小沢一郎政経塾』(という団体)に入っていた。それらの78%の額が寄付として陸山会に行っており、それらの金が陸山会の主な収入となっていた」

 《検察官は「小沢一郎政経塾」といっているが、実在する「小沢一郎政治塾」のことをいっているようだ。検察側は各ゼネコンの献金額を説明。どの社も年間数百万~2千万円前後であることが多いが、西松建設など数社は「12年に合計9000万~1億2000万円だった」とした》

 《ここで検察側は東北地方の談合の仕切り役だった大手ゼネコンAの元東北支店次長(公判では実名)の供述調書を読み始めた。10年以降の談合のキーマンであり、その内容に注目が集まる》

 検察官「岩手県では昭和50年代以降、小沢氏の『天の声』が機能し始め、逆らえなくなった。小沢事務所は東北地方の県知事選に自分の派閥の候補者を立て、当選させるなどして影響力の拡大を図り、公共工事を牛耳るようになった。本来、業者間だけで受注調整をしていたが、小沢事務所が関与するようになった」

 「業者が小沢事務所に公共工事の受注を陳情し、本命業者としての了解を得ると、その業者は談合の仕切り役であるうちの会社にアピールをしてくる。そして本当に小沢事務所が了解をしたのかどうかを事務所に私が確認した上で、その内容に従った」

 《東北地方における談合の構図で、どのように小沢事務所が影響力を持つようになったのか-。調書は、その姿を浮き彫りにしていく》

 検察官「平成15年の簗川ダム(岩手県)工事のときは、西松建設からアピールがあったので、大久保被告に『西松建設でよろしいですか』と聞いたら、『そういうことで結構です』と答えたので、西松建設を本命業者にした」

 《続いて読み上げられたゼネコン関係者の供述調書》

 検察官「当時、小沢事務所からの『天の声』を得るため、下請けを使って多額の献金を捻出(ねんしゅつ)した。選挙の時には(選挙運動に協力する)人出しや(集票のための)名簿出しをした」

 《ここで検察側は、再び国沢元社長の供述調書を読み上げる》

 検察官「かつて西松建設は談合受注は故金丸信元衆院議員にお願いしていた。しかし、汚職事件が発覚してそれができなくなると、工事を受注しにくくなった」

 「そのとき、東北支店長から『小沢事務所が強大な影響力を誇っている』と報告があった。実際に小沢事務所から『西松建設に仕事を回すな』といわれ、工事を受注できなくなったこともあった。東北支店長から『多額の献金をする必要がある』といわれた。小沢事務所からは名義を分けて1000万円の寄付をするよう求められた」

 《大久保被告は検察官を見つめたままだ》

 《検察側が読み上げる関係者の供述調書を、大久保隆規被告(48)は、うつむき気味で聞き入っている。大久保被告に政治献金の減額や中止を求めた西松建設の元総務部長兼経営企画部長の調書を、検察官が読み上げる》

 検察官「私は、西松建設の経営状況がいよいよ厳しくなって、悪化していることを伝えました。すると、大久保さんは『お宅が厳しいのはよく分かっている』といわれ、『申し訳ない』と何度も繰り返したのですが、なかなか納得してくれませんでした」

 《さらに、検察側は、大久保被告が、公共工事受注への影響力をちらつかせながら西松建設にたびたび献金の要求を繰り返したと主張。それを裏付けるものとして、西松建設関係者の証言を再びとりあげた》

 検察官「17年ごろ、(岩手県の遠野第2ダム建設工事の受注について)私がお願いすると、大久保さんは『よし、わかった。西松にしてやろう』と話していました…」

 《しかし、平成17年末にゼネコンが「脱談合宣言」を行ったことで、工事入札は厳しい「たたき合い」となり、西松建設は受注できなかった》

 検察官「その後、大久保さんから電話があって、『うちの(関連)業者に下請けさせてほしい』と話されました。しかし、私が西松が受注できなかったことを説明すると、大久保さんは『そうだったけ。間違った』と電話を切りました」

 《さらに、小沢氏と袂(たもと)を分かった元衆院議員の元秘書について、大久保被告が激しい怒りをあらわにしたことも明らかにされる。再び、西松建設の元東北支店長の証言が読み上げられる》

 検察官「平成16年の参議院選挙のときでした。○○さん(元秘書の実名)が、小沢先生の対立候補を応援したとき、大久保さんは『○○の野郎。(小沢)先生の恩を忘れやがって。絶対に許さねえ。お前は○○側につくようなことはないな』と言われました」

 《続いて、検察側は、小沢事務所の捜査で押収された書類の中身を説明し、事務所に勤務していた職員らの供述調書を読み上げる》

 検察官「政治団体とは名ばかりで、新政研(新政治問題研究会)にも、未来研(未来産業研究会)にも、実体はありませんでした。(西松からの直接的な)寄付そのものだと思い、(関係者に)『これは西松建設の献金です』と答えたこともあります」

 《新政研・未来研について、こんな風に語られた供述調書も読み上げられた》

 「小沢議員の財布のひとつに過ぎなかった」

 《大久保被告は、それをじっと聞きながら、肩を上下に揺らし、深呼吸した。検察官はさらに、別の事務所関係者の証言も読み上げていく》

 検察官「寄付について、大久保さんと○○(西松建設の元総務部長兼経営企画部長の実名)が、どこにいくら振り分けるか決めていました…」

 《検察側の証拠書類の読み上げが続いている。公判開始から2時間半。途中休憩を挟んだせいか、大久保隆規被告(48)に疲れた様子はまだ見えない。変わらず背筋を伸ばし、検察側の方をしっかり見据えている》

 《小沢一郎民主党幹事長の事務所関係者、政策秘書、不正献金のためのダミー団体とされる「新政治問題研究会」(新政研)と「未来産業研究会」(未来研)の「従業員」とされる人物の供述調書などが読み上げられていく。検察側は、さらに西松建設の献金先では小沢氏の資金管理団体「陸山会」が突出していたことも指摘。東京・赤坂の小沢事務所から押収した資料も多数証拠として提出したことを明らかにした》

 検察官「乙1号証から乙13号証は、被告人の供述調書です」

 《検察官は、大久保被告が逮捕され、保釈されるまでの間にとられた本人の供述調書を読み上げ始める。新政研など2団体からの献金は、実質的に西松建設からの企業献金で、2団体はダミーと認めた「自白調書」だ》

 検察官「新政研も未来研も、政治資金規正法にもとづいた政治団体を装っているが、真実は西松側からのものと認識していました」

 「西松建設がわざわざ自社からの代表を(2団体に)すえてやっていることが分かりました」

 《調書では、不正献金の理由として、企業献金規制が、政治資金規正法改正で強化されたことなどにも触れている。さらに「自白調書」の読み上げが続く》

 検察官「(新政研と未来研の2団体は)表面上は健全を装っていますが、トップかどうかは分からないですけれど、西松の意思に基づき、献金が行われていることは分かっていました。2団体の代表が出てこないこともあり、実体のない(団体)ことにはうすうす察しがついていました」

 「法律の網の目をくぐったダミー団体で、形式上あるだけ。政治活動の実体がない『トンネル(団体)』に過ぎないと思ったのです」

 「私は(新政研と未来研の)関係者にお礼を述べたことも、会ったこともありません。献金のための『トンネル(団体)』ですから、お礼やあいさつをする必要はないと思っていました」

 《さらに、大久保被告は調書の中で、政治資金収支報告書に虚偽記載した動機も語っている》

 検察官「西松建設からの献金は、金額が多く目立つので、あれこれせんさくされるのを避けたかった」

 「献金は、資料を用意して、西松建設の○○部長(公判では実名)に修正してもらい、最終的な割り振りを決めていた」

 《新政研などの献金が止まったことについても、調書では大久保被告の感想が述べられている》

 検察官「新政研、未来研の名義の献金が、実際には西松建設の献金であると知っていたので、西松の経営悪化で(献金)減額になったと分かり、やむを得ないと考えました」

 《大久保被告の「自白調書」読み上げが終わる。大久保被告は、この調書に署名した後、再び、容疑・起訴内容の否認に転じている》

 《続いて、弁護側の証拠書類が読み上げられた。事件を受けて、西松建設が行った内部調査報告書や、小沢氏の元秘書を誹謗(ひぼう)したとされる新聞記事のコピー、それに対する告訴状などだ。弁護人は淡々と内容を説明し、「以上です」と結んだ》

 裁判長「それでは、本日の予定は終了です。次回期日は…」

 《登石郁朗裁判長が閉廷を告げると、大久保被告は立ち上がって大きく一礼。少し緊張がゆるんだような表情で、弁護人と言葉を交わした。だが、報道陣や傍聴人の視線が自分に注がれているのを思いだしたように、再び口元を引き締め、堅い表情に。被告人席に腰掛けたまま、傍聴人が全員、退廷するまで、表情を崩さなかった》
 《次回期日は来年1月13日で証人尋問が行われる予定。献金の実務を取り仕切っていたとされる西松建設の元総務部長兼経営企画部長らが、証言台に立つ見通しだ》 =(完)

2009年12月14日月曜日

【皇室問題】 天皇陛下謁見

 「天皇を政治利用してはならない」という問題と、「天皇は政治的発言をしてはならない」という問題とが、同一の平面で論じられているように思います。しかし、主語(前者には主語はない)の違いから明らかなように、分析的に見れば、この両者はまったく別問題です。

 志位和夫氏が述べているのは、もともとは、後者の側面に関するものです。日本国憲法第4条第1項の「国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」という文言解釈に関わる問題です。

 前者の問題が後者の問題に関わりを持ってくるのは、後者の問題で一定の立場に立った場合(こういう検討順序になるのは、憲法の明文規定が後者について存在しながら、前者については直接には存しないからです)、天皇に与えられた禁止規範を厳格に貫く必要が生じるからです。

 例えば、天皇が憲法上それ「のみを行」うことが許されている「国事行為」の解釈について拡張解釈を認めず(全国植樹祭への参加は第7条第十号の「儀式を行ふ」には該らないとするなど)、しかも、一般私人がなしうるところでない「公的行為」の存在を一切認めない見解に立てば、国事行為以外で何らかの政治性をもつ行為を行うことは、およそ天皇には憲法上許容されない、という結論になります。

 こうした立場に立てば、習近平副主席の接受など政治外交上の意味が濃厚な行為を行うことは、もともと天皇が憲法上なしえないことなのだから、「内閣の助言と承認」がいくらあったとしても、時の内閣がそれを天皇に行わせることも憲法上許されず、したがって、内閣として「許されない天皇の政治利用」であることになります。

 これに対して、「天皇は憲法第1条で象徴としての地位を認められているのだから、その象徴たる地位にふさわしい行為(象徴行為)は当然に憲法上なしうる」(象徴行為説)、または「天皇は国及び国民統合の象徴として国事行為をなすという『公人』の地位を憲法上認められているのだから、そのような公人たる地位にふさわしい行為を行うことは、憲法も容認している」(公人行為説)と考えれば、これに「国事行為に関する内閣の助言と承認」と同じ内閣の関与行為・国会に対する連帯責任を要求する解釈をとったとしても(この見解が現在の憲法学界の多数説ではないかと推測されます)、今回の天皇の接受行為が、直ちに「天皇が憲法上なしえない『国政に関する権能』行使」になるかは不分明になってきます。

 この点、象徴行為説や公人行為説に立つ論者も、憲法の明文規定にないこの種の天皇の行為が「政治的性格」を帯びることに警戒的な態度を示しつつも、象徴天皇制という妥協的制度の現実からやむをえない現実的必要性を認めて、さらに何らかの細目規準を挙げながら、一定範囲でのみ「象徴行為」「公的行為」を認めているのですが、侵略戦争をしかけた相手国の次期国家主席候補者という接遇相手の地位から見て、おそらく習副主席の接受を「憲法上なしえない」とは言わないでしょう。

 ところで、少し視点を変えて見ると、この種の行為が憲法解釈論上の問題となるのは、まさにそれらが、何らかの政治的性格を帯びているからです。象徴行為説や公人行為説が如何にその点に警戒心を隠さなかったとしても、このこと自体は避けられません。

 つまり、何らかの「政治的性格」をもつことが不可避な「天皇が象徴ないし公人として行うことが許される行為」を認める以上、その行為を時の内閣が行わせること自体が、「天皇の政治利用となる」として必ず非難されることにはならないのです。おそらく、せいぜい「天皇のその種の行為の具体的内容が、政治的に見て不適当である」という批判を内閣が受けるだけであろう、と考えられます。これが、この種の見解が意図する「内閣の連帯責任」の中身であろうと思われるのです。

 天皇が、個別具体的な行為において内閣の政治方針と異なる行動をとった場合には、天皇自身が憲法に反して政治的権能を行使したこととなると同時に、それを行わせた内閣に(国民及び国会に対する)政治的責任が生じる、ということになります。他方、天皇が時の内閣の政治方針に従って具体的に行動すれば、天皇の行為が「象徴ないし公人行為」として容認されるものであった限り、その具体的行動内容の当否について内閣のみに責任が生じるわけです。

 日本共産党の志位委員長の見解は、ご引用部分によると、「公的行為」の存在を認める口ぶりでありながら、憲法上、「公的行為に政治的性格を与えてはならない」という禁止規範があると解釈して、今回の天皇の行為自体を「憲法上許されない」と結論づけるもののようですね。これは、最近の憲法解釈学界に出てきた学説なのかも知れませんが、あまり聞きません。

 もともと、「国事行為」でもないし、私人がなしうると同等の「私的行為」(例:散歩・相撲見物―但し特別席の使用は問題・全国植樹祭への参加― 但しそこで「お言葉」を述べる行為は若干問題)でもない、「公的行為」という、憲法の明文にないカテゴリーを承認する解釈学上の意味は、まさに、「『一般私人が到底なしうるところにない政治的性格を帯びた行為』(例:外国からの要人の接受)を一定の範囲で憲法上容認する」という点にこそあったのでした。

 志位氏の解釈は、こうした解釈学上の「問題の由来」をあまり考えない、その意味で拙劣な憲法論であるように思います。

 もし、「国事行為の多くは純粋に形式的・儀礼的な行為だから(例外は衆議院の解散など)、公的行為もそれに準じて形式的・儀礼的な行為でなければならない」と言いたいのであれば、それは「国事行為に準ずる行為のみが許されうる」という「準国事行為説」であって、「公的行為肯定説」ではありません。そして、志位氏の結論を主張するのであれば、「憲法が定める国事行為に該当しない上に、私人と同等の私的行為でもない『外国要人の接遇』などは、憲法上許されるものではない。そのような行為は、当然に何らかの政治的性格を帯び、『国政に関する権能行使』に繋がるからだ」と端的に言うべきで、「公的行為」など持ち出すべきではありませんでした(この見解は、「二分説」と呼ばれて、少ないですが論者は居るようです)。

 しかも、おかしなことに、一般の議論では、「外国要人の接受」は、かなり形式的・儀礼的行為に近いものとして語られているのです(準国事行為説でも肯定しています)。したがって、今回の行為が「政治的性格」を与えられたというのも、一般の議論からは離れているのです。

 さらにまた、今回の具体的な天皇の接受行為について、憲法上禁じられている「国政に関する権能の行使」に該るような言動があったとも聞いていません。したがって、天皇が内閣の方針通りに行動した以上、当不当の問題は生じえても違憲の問題は生じえないはずです。これを、「憲法の原則に関わる大きな問題が問われている」というのならば、現在の議論に即して、自己の立場を鮮明にする必要がありました。


 ところで、いま検討してきたような理屈は、あくまで日本国憲法が規定する天皇制、議院内閣制という構造から出てくる論理であって、宮内庁長官が、天皇の個別的行為の当否に関して時の内閣の方針を批判する、ということは、それらとは次元が異なる問題です。

 宮内庁といえども、「行政権は、内閣に属する」とする憲法第65条の下で、その「外交関係を処理する」(第73条第二号)内閣の権限に基づき発せられる行政上の指揮命令に従うべき、一行政機関に過ぎません。したがって、宮内庁長官が内閣からの指示を公然と批判する行為は、これに反していると言ってよいでしょう。
 ここで、いわゆる「30日ルール」が、天皇が行うべき行為の「内容」に関するルールではなく、「手続」のルールであることにも着目できるように思います。

 いかに、「天皇の行為の政治性をチェックするための検討期間である」という高邁な理屈を持ち出したとしても、そのようなルールが明確に規定されているわけではない以上、当不当の問題は生じえても、違法違憲の問題は生じえない、というのが筋だと思います。

 結局、今回の問題を「天皇の政治的利用」の「可否」という切り口から論じるのは不適当であるように、私は考えています。

 その意味では、たしか小澤氏が同趣旨のことを述べていたように思いますが、この件に関する限り、(好きでも支持してもいませんが)小澤氏は真っ当な議論をしているように思います。(以上)

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平成7年3月13日

天皇皇后両陛下謁見願の取扱いについて

貴省から当庁に対する外国要人(離任する駐日大使を含む)の天皇皇后両陛下への謁見の正式願い出は、謁見希望日の真近に行われる場合が多々あり、そのこと自体好ましくないのみならず、御日程調整にも支障を来しています。ついては平成7年度から、外国要人の謁見願いについては、原則として謁見希望日の一か月以前に要請をされるよう願いたく在外公館など関係方面にもこの趣旨が徹底されるようおとり計らいください。

平成16年2月3日(外務省小田野)←(宮内庁川島)

天皇皇后両陛下謁見願の取扱いについて(依頼)
標記について平成7年3月13日付け宮内庁式発題403号をもって外国要人(離任する駐日大使を含む)の天皇皇后両陛下への謁見の正式願い出は、原則として謁見希望日の一か月以前に要請願いたい旨(いわゆる「一か月ルール)を通知し、その後も暫(?)時貴省にお願いしてきたところです。

 しかるに当庁から再三の申し入れに拘わらず貴省から当庁に対する外国要人の謁見願い出は、今なおこのルールに則らないものが相次いでおり、当庁としては必要に応じ謁見実現にむけて努めているものの、意に反して謁見に応えできない事例があるばかりか、御日程全体に支障を来す事態が生じていることは、まことに遺憾であります。

 貴官におかれては、本件ルールの趣旨を再度確認を願うとともに、在外公館など関係方面にも改めてこの趣旨を然るべく周知徹底いただき、本件につき講じた措置について当方へ報告願います。

やむお得ず一か月ルールに抵触をする願い出条件については、儀典総括官から式武官(外事担当)へ可及的速やかに通報の上、その取り扱いにつき貴官の意見を添えた文書を持って打診願います。

2009年12月12日土曜日

小沢一郎 韓国国民大学講演

小沢氏が韓国国民大学での講演
元東大名誉教授であった江上波夫教授の話を引用し、日本の成り立ちを朝鮮半島からの騎馬民族説を語っている。

この講演を、右翼(主にネット右翼といわれている方々)の方々には面白く無いようで非難を浴びたのであるが、この動画全部を見る限りでは、江上教授の騎馬民族説を取り上げているだけの話でしかない。

故江上教授の説を小沢氏が聞き、そして話したという程度のもので、日本国内でも江上教授の唱えた騎馬民族征服王朝説にロマンを感じた方も多いと思う。

この騎馬民族征服王朝説も佐原真氏の「騎馬民族は来なかった」などの反論に会い、 この学説は忘れられつつあったように思う。そんな中で小沢氏はこの学説をロマンを持って韓国国民大学の講演の題材に用いたのであって何ら違和感を持つ必要はない。

何よりも佐原真氏の「騎馬民族は来なかった」の中では、馬の血の話がどうしたの去勢がどうしたの類の話ばかりで、 江上教授のロマンに満ちた学説とは対照的で無味乾燥した話にしか思えなかった。

江上教授のロマンにあふれた学説と佐原真氏の学説では佐原真氏の学説の方が、反論のための屁理屈にさえ思え非常につまらないものと自分には写ったのも事実である。

そんなロマンのある江上説を語る小沢氏を韓国に対して”ゴマをすっている”だの”小沢は韓国人”だのと非難をすること自体、発想(ロマン)の乏しい人間に見えてしまう。

蛇足として「騎馬民族征服王朝説」の概要を書き出すと

①前期古墳文化と後期古墳文化は、根本的に異質である。

②その部分の変化が急激で、その間の自然な推移を認めがたい。

③農耕民族は一般的には、自己の伝統的な文化に固執する性向が強い。ゆえに、 急激に他国・他民族の文化を受け入れて自己の伝統的な文化の性格を変容させる傾向はほとんど見られず農耕民であった倭人の場合でも同様の性向であったと思われる。

④国内にみる、後期古墳文化における大陸北方系騎馬民族文化複合体は、大陸及び朝鮮半島におけるものと共通し、その複合体のあろものが部分的もしくは選択的に日本で受け入れられたとは認められない。 すなわち大陸北方系騎馬民族文化複合体が、一体としてそっくりそのまま日本に持ち込これたものであろうと推測できる。

⑤弥生式文化および前期古墳文化時代に、牛馬の数が少なかった日本において、後期古墳文化時代に入り急激に多数の牛馬の飼育するようになった。
この点においても牛馬のみが大陸から渡来し、人の渡来しなかったとの解釈は無理があり、騎馬を常習とした民族が馬を伴って、多数の渡来人が大陸や半島から日本へ渡来したと考えるほうが自然である。

⑥後期古墳文化が王侯貴族的・騎馬民族的な文化であり、その弘布の仕方が武力による日本の征服・支配を暗示させる。

⑦後期古墳の濃厚な分布地域が軍事的要地と認められる所に多い。

⑧アラブ・ノルマン・蒙古などを例にとるまでもなく一般に騎馬民族は陸上のみの征服活動だけで満足をするわけでなく、海上を渡っての征服欲も満足せしめようとする傾向にある。 したがって南朝鮮まで騎馬民族の征服活動がおよんだ場合には、日本への侵入も十分あり得る。


ここで気をつけたいのは「騎馬民族征服王朝説」と「日ユ同祖論」と非常によく似た説であることにだけは気をつけるべきであろう。なんせ、伊瀬神宮の石灯籠に描かれた「六芒星」をもってして欧米とのつながりまで関連つけたという事実まである日本という国である。その部分は注意が必要な気がする。

江上教授の説は、天皇制の遠い起源が北方ユーラシアのステップ地帯にあると考え、 ここから満州・朝鮮を南下した扶余族系の騎馬民族が、ひとまず任那に「辰王国」を建てた後、 九州に上陸してその後、紀伊半島の和歌山県・三重県までずうっと海岸伝いに来て、今の奈良県に入り、奈良盆地で政権を樹立した大和へ東征し、日本国家の基礎をつくったと想定したというもの。古事記の神武東征の話である。

小沢氏は、この説を支持しているに過ぎない

そもそも、このビデオ自体が特定の意図を持って見る人に先入観を与えるような文章も付いて無く、たまたま取材した講演をインターネットに載せただけというもので、特定の人間から攻撃を受けるようなものでもないはずである。

2本目のビデオの8分の発言は非常に重要であろう。これを伝えたマスコミが過去にあっただろうか。
日本の天皇もあいさつで言ったことでありますけども、平城京、京都、平安京を作った桓武天皇、794年、西暦794年に京都の都が出来たんですが、その桓武天皇の生母は百済の王女様だったと天皇陛下自身が認めておられます。と。

この陛下の発言は、2002年の日韓ワールドカップを前にした記者会見でのもので、陛下は次のような発言をなさった。「私自身としては、桓武天皇の生母(高野新笠)が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。」と。

 桓武天皇の生母が渡来系の子孫であることは、中学教の科書にも書いてあるはずであるが、韓国人へ差別感を持っている日本人が少なからずいると思うのだが、その方たちは「天皇家に百済人の血が混じっていることを知らないのだろうか」と思うと・・・。

どちらにしても、平城京でも渡来人が多く住んでいたようで、羽田氏は京都の秦氏と同根であるし、松尾大社、そして伏見稲荷も秦氏の創建とされているのである。

参考資料として





小沢一郎 國民大 講演 (1)
http://www.youtube.com/watch?v=CbJnAW6eCSM


小沢一郎 國民大 講演 (2)
http://www.youtube.com/watch?v=hR5TF83kGK8



小沢一郎 國民大 講演 (3)
http://www.youtube.com/watch?v=WsOwC13DVVw



小沢一郎 國民大 講演 (4)
http://www.youtube.com/watch?v=vTiu5wtdBUU



小沢一郎 國民大 講演 (5)
http://www.youtube.com/watch?v=mQtHln8204Q

どうでも良いことなのだが、嫌韓や反中の方々の気持ちもわからないではないが、大陸とのつながりは昔からのものであるし、今更嫌いだの何だのと言うほうがおかしいし・・・・。

追記(2011年1月26日)
古くから朝貢外交をしてきた日本が、貢先をアメリカに変えただけでしかなく、それを今更、中国が脅威だの韓国が嫌いだのと言っても始まらないし、何よりも先日のウィキリークスでの小沢・鳩山潰しの外電が韓国から発せられたものである以上、嫌韓でいることに何のメリットがあるのだろうか?

2009年12月7日月曜日

【鳩山政権】 岡田克也

 岡田克也は、この日を境に評価に値しない男になった


岡田外相>まあ実質的には戦後初めてと言ってもいいと思いますが、政権交代が見事に実現をして、鳩山政権のもとで私が外務大臣を務めることになりました。あれから2カ月以上経ちますけれども、この間、懸命に頑張ってきたつもりでございます。

 今日はその中でもですね、沖縄に関わる問題を中心に、ぜひ皆さまの率直なご意見を聞かせていただきたい。この前も沖縄に来たんですけども、どうしてもですね、知事さん、市長さん、町長さん、あるいは県議会の先生方のお話しを聞く機会があったんですけども、一人ひとりの市民、県民の皆さまのお声を聞く機会がなくて、今日は玉城さんにお願いをしてこういう機会を設けていただいたわけでございます。

さて、少し最初に私からお話しした方がいいと思いますけども、沖縄の基地の問題、あるいは米軍再編の問題、このことについて、私たちも選挙において、民主党のマニュフェストでは、沖縄基地の問題、米軍再編の問題について、見直しの方向で臨むというふうに書かせていただきました。

 この中には例えば普天間とか、県外ということが含まれておりませんでしたけれども、それは私の中でもいろいろ考えて、そういう表現はあえて避けたわけでありますから、しかし、そうは言ってもですね、思いの中にやはり沖縄の基地の負担をなんとかして減らしたい。今こういうふうに沖縄の基地と言った時に、普天間ということが念頭にあるということは、これは事実としてあります。これは鳩山代表も沖縄に来られてですね、色んな条件を付けながらとはいえ、県外にということも言われたわけであります。

 そして、政権を取ってですね、マニュフェストに書いたこと、あるいは皆さまへ言ったことについて、これをどういうふうに実現していくかということで、私も外務大臣としてこの2ヶ月余り、必至になって取り組んでまいりました。これ以上言うと、…(一部不明)…いきますので、またあとで詳しく説明させていきますが、現実にアメリカとの話し合いをこの2ヶ月やってまいりましたけれども、彼らの方から言うと日米両政府間に合意があると、その合意を受けてやってもらいたいと、そういう話であります。

 我々は政権が変わったと、条件はどうしてもですね、玉城さんはじめ四つの議席みんな我々の側が、与党の側が、政権交代を実現した側が取ったんだと。こういう大きな成果があったんだ、ということも申し上げ、そして政権が変わったという中で、従来の政府間の合意というのもそのままではなくて、ここでもう一回ですね、きちんと検証すべきではないか、なぜ今の案になったか検証すべきではないか、こういうことを申し上げて、様々な議論をこの2カ月間続けてきたところでございます。

 しかし、アメリカの側が、検証はいいけれども、しかし、日米で合意した案というのは、これは変えられないんだ、ということをずっと繰り返してまいりまして、2カ月間色んな議論をしてまいりましたが、このアメリカの主張は変わらないと。もし、ここは地元でありますが、普天間を辺野古に移すということと、そして、8000人の海兵隊がグアムに行くということと、グアムに行った結果、空いた基地を日本に、沖縄に返すということと、これは事実上一つの、セットになった話であると。従って、8000人の海兵隊のグアムへの移転とか、基地を返すということは、それは辺野古への移転が実現して初めて可能になることなんだと。こういう論理展開で、もちろんこういうことはきちんとそれぞれ条件があってのことになるんですが、理屈上こういう話であるということをアメリカ側としては、一貫して主張してきたわけで、その中でなんとか我々の思い、つまり沖縄の負担を少しでも減らすと、そういう思いが実現できないかどうかということを、この2ヶ月余りアメリカ側と交渉してきたということでございます。

 最近になってちょっと大きな変化があったのは、社民党の党首選挙がありまして、福島さんが再選されたわけですけれども、その過程で、やはり社民党にとってはこの問題は非常に重要な問題だと。したがって政権離脱もあると、そういう話がありまして、ある意味ではそういうこともあってですね、この話は煮詰まった話であるということでございます。ま、こういう不確かなことは…(一部不明)…ちょっと…(一部不明)…たいと思いますが、こういう中でいま、もちろん私も、民主党も日米同盟というのは非常に大事であると。日本の安全のためになくちゃあならないものだという前提で議論していますから、その日米同盟をしっかりと持続していく。あるいはより強くしていくということと、そして、基地の問題をどうするかという、あるいは日米の合意をどうするかという、そのジレンマの中で、我々はいま選択を迫られていると、こういう状況にございます。


 どうぞぜひ皆さんから率直なご意見をいただければ有り難いと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

司会(玉城デニー議員)>有り難うございました。以上でマスコミの皆さんには館外にですね、どうぞまた出ていただきたいと思います。よろしくお願いします。時間の関係があります。どうぞ速やかな行動をご協力お願いします。

 会場の皆さん、今のうちにですね、携帯をマナーモードにしていただければ有り難いと思いますので、よろしくお願いします。それから、申し訳ありません、少し皆さまにはご迷惑をおかけいたします。これだけのメディアの方々がいらっしゃって、実はですね、メディアの皆さんのワイヤレスマイクの電波と会場のワイヤレスマイクの電波が混信しています。先ほどからずっとスピーカーから流れてきておりまして、他のマイクの本数の切り盛りができないためにですね、会場の皆さんの方に予定をしておりましたワイヤレスマイクを回すことができません。申し訳ありませんが、この会場、これだけの人数ですので、できるだけ静粛にしていただきたいということも含めて、ぜひ地声で話を頑張っていただいて、ご協力をたまわりたいと思いますので、よろしくお願いします。

 なお、本日はあらかじめお断りををさせていただきたいと思います。実は外務大臣にですね、要請という形で各方面の皆さんから要請文が届いておりますが、今日は先ほどもお話がありました、衆議院議員として私たちの話を伺いたいということもございまして、この要請文は私がお預かりをしております。後ほど私の方から大臣に後日、整理させていただいてですね、しっかり届けますので、その点をお約束させていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 すみません、メディアの皆さん、有り難うございます。なお、会場でのビデオカメラの撮影もお断りさせていただいております。後援会の皆さん、申し訳ございません。カメラのビデオのスイッチもお切りくださいますよう、ご協力お願いいたします。ここからユーチューブに載ったら大変なことになりますので、ご了承お願いします。

 それではですね、二、三質疑応答を、皆さんにご自由に話していただきたいと思います。限られた時間ではありますが、約30分、40分くらいですね。はい、では手を挙げられた方。

我喜屋宗弘>えー、岡田大臣、ようこそ名護市へ、と言うべきなんですが、私たちの名護市は今、ほんとに混迷をいたしておりまして、このまま歓迎のあいさつをすること…(一部不明)たいと思います。私は去った衆院選挙に玉城デニー氏の…(一部不明)…をつとめた我喜屋宗弘と。

 私たち沖縄県は、去る第二次大戦の時に、地上戦があって20万人という大先輩を失った県民でありますし、…(一部不明)…非常にシビアで、非常に惨状が今でも残っています。その中で、私たちの辺野古に普天間の基地を移転するということが議論されてから、もう久しくなりますが、その中で行われた去った国政選挙で、玉城デニー氏…(一部不明)…強く反自公、いわゆる県内移設として基地をまとめることはまかりならん、という点でまとまっているところであります。そして、応援に来た岡田大臣も、それから鳩山総理、マニュフェストにはなかったにしても、答弁としては、県外を、国外をということを言ってます。

 あ、すみません、失礼しました。各応援団体の決意を受けてもらった時に、沖縄県民、名護市民ひとりとして、その言葉を、県外ですね、国外ですね、と確認をしながら私たちも選挙を進めてまいりました。そして、選挙ですでに、私たちとしては県内移設はありませんよ、というふうな集約をされたのが名護市の民意であり、沖縄県民の民意であります。

 したがって、今日私たちにお話をしたという意味から、それははっきりとした私たちの意思でありました。その点については、岡田外務大臣と政府が、私たちから見れば、アメリカのやれという恫喝に脅かされているような雰囲気に見えます。従って、独立国家としてここはきれいに整理をしていただければ大変有り難いと思います。ご意見をお聞きいたします。


西川征夫>私は今まさに海上ヘリ基地が造られようとしている辺野古から来ました。辺野古の住民は私ひとりしかここに入れませんでした。本来ならば、辺野古の住民の前でですね、岡田さんがやってることを説得すべきではないかと、私はそういうふうに希望しているものでございます。

 1996年、当時の橋本総理とモンデールさんが、5年ないし7年の間に普天間基地は移動するというふうに申されてからですね、もうすでに13年なります。県民の頭越しにはしない、というふうに言いながらですね、まったく当時の状況を無視し、色々なアメやムチを用いてですね、わが辺野古に迫ってきております。私たちもですね、本当に民主党には、このヘリ基地問題を解決していただくためにですね、ほとんどの地域の住民が民主党に入れているはずなんです。

 しかし、選挙からすでに3カ月になるんですが、いっこうにそのヘリ基地が動こうという気配が感じられない。われわれ地域住民の中ではですね、反対派や賛成派の中でごちゃごちゃになってしまいましてですね。そうして13年の間に「命を守る会」という住民運動体が結成され、最初の私はその住民運動体「命を守る会」の代表として、現在まで来ておりますけれども、その間、4人の代表に代わりました。そして、守る会の幹部には60代手前にしてストレスから3名が命を失っております。73歳で最後の「守る会」の代表が3年前にお亡くなりになりました。

 それを考えればですね、それは政府としてはですね、速やかに結論を出さないとですね、今後われわれ地域に、辺野古区民がですね、大変なことになる、ということで修復しようにも修復できないいま状況あるわけです。

 先ほど、私はあえて外務大臣とは申し上げませんでした。それはなぜかというと、本来ならば期待を持って大臣にお願いするつもりでございましたけども、今日は民主党の議員ということでですね、そういうふうに申されて、本当にこの問題は通じるかどうか、不安でございます。

 ぜひ、もう一度、時間があるならば、あのきれいな海の前でですね、住民に、われわれ辺野古の住民と一緒になってですね、ほんとにそこの場所にですね、あの巨大なヘリ基地が造られていいものかどうなのかをね、岡田さん自身で確認していただいて、速やかに結論を出していただきたい。そういうふうに願ってお願いいたします。

東恩納琢磨>こんにちは。今日は大臣にですね、プレゼントがありますので、私が撮ったですね、ジュゴンを撮影した写真がありますので、あとでお渡ししたいと思いますので、よろしくお願いします。

 私は基地埋め立て予定地の隣に住んでおります名護市会議員、東恩納琢磨と申します。アメリカでジュゴン訴訟の原告の一人でもあります。…(一部不明)…お願いをしたいと思ってます。もうご存知と思いますけど、2000年にIUC国際自然保護団体でジュゴンを守れという考えの勧告が日本に出されています。あれから3度も出されて、2008年にはですね、アメリカと共同で環境アセスをやれという勧告も出されていると思います。そして、アメリカの裁判では、アメリカの国内法にその埋め立ては違反しているという判決も出ています。

 そういうことからすると、アメリカもやっぱり環境を壊して、そこに造るというのは、環境面から壊して造るというのは懸念を持っていると思います。そして、それを報告としてですね、実は12月2日にハワイでですね、NEC海洋哺乳類学会がありました。その中でも、2002年に哺乳類学会というか、アメリカでですね、日本のアセスは不備な点があるということを指摘しています。そして、当然アセスの狙いということを、そのNECというのはアメリカの政府機関、その政府機関がアメリカ政府にそういうことを言うわけですね。今回の学会にも同様のことを言うということです。

 そういう面からすると、環境の面からすると造るべきでないというのが、大多数の世界の世論であります。どうしてそれを犯してまで、そこを埋め立ててですね、ジュゴンが棲めなくなるようなことになってしまえば、これはアメリカにとっても、日本にとっても、国益を損なうんではないかなと僕は思っています。それよりもあそこは日米両政府がですね、協力してジュゴンの保護区を作る、それが先進国としての役割だと思うし、世界からもその方が信頼される国になるのではないかなというふうに僕は思ってます。こういう観点からアメリカにですね、物を申してほしいなと思います。

 先ほど大臣は合意を取り消すとか、これまでの合意があるからやり直すことが難しいと仰ってましたが、アメリカのオバマ大統領はご存じだと思いますが、ポーランドの協定は見直しています、すでに。ご存じだと思います。ですから、それはやる気だと思うんですね。そういうやる気があるかないかがいま、問われていると思ってます。

 もう一つ、日本の環境アセスにおいては、ご存じだと思いますけど、アワセメント(初めに結果ありきで、それに調査を合わせていく)です。結局、造るためのアセスです。国際常識、国際基準からいえば、アセスをしてゼロオプション、見直すというのも本来のアセスなんです。それをやってないという国。それはヨーロッパやアメリカの人たちもそのことをよく知ってて、だから日本のアセスはよく思ってないというか、信用できないということですね。

 その証拠にオスプレイ(V-22)の配備が明記されていません。もうご存じだと思います。アメリカはすでに、外務大臣は知ってると思うんですけど、オスプレイの配備は踏まえた、と言ってます。そして、そのことを日本政府に伝えています。それを示す書類がアメリカの裁判の中で出てきています。それを日本国民には伏せてます。そういう情報公開をしないままアセスを進めていることが分かった以上、今回やってきたアセスはもう…(一部不明)…合わせにしかすぎないと思ってますし、国外でもこの裁判が伝えています。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-131398-storytopic-3.html

 ぜひ大臣、そういうことを鑑みてですね、もう一度この環境を守るという意味で、ジュゴンを守るという意味で、決意されていただきたいなと思います。ということで、この先もお聞きしますのでよろしくお願いします。

司会>はい、有り難うございました。では、ご三方に対してよろしくお願いします。

岡田外相>はい、有り難うございました。この問題を考える際に、白紙でわれわれが最初から議論に参加をして考えられるのなら色んなことが、私も言いたいことはたくさんあります。あの辺野古の海は非常に美しいですね。そこに巨大な構造物を造るということに、私も抵抗感があります。それから、海兵隊というものが沖縄に本当に必要なのかどうかと、あるいは米軍再編とはいったいどういう位置づけの問題なのかと、いうようなことを、きちんと議論をして積み上げていって、そして日米の結論に達するというのが本来だと思います。

 ただ、極めて不幸なことですが、2005年の時点であれば、そういうことも可能だったと思いますが、日米で一定の合意に達したあとにわれわれは政権与党の座についたということであります。いやオバマ大統領だってポーランドのMDについてですね、キャンセルしたじゃないかと、そういう言い方はありますけれでも、われわれもそういう主張はもちろんしたわけですけれども、しかし、日米合意というのは交渉を積み重ねて積み重ねて合意に至ったものですから、政権が変わったからといって簡単にキャンセルできるものじゃない。

 最初に私がヒラリー・クリントン長官とニューヨークで話をした時に、われわれは実質的に50年ぶりの政権交代であると。従って、色んなことが変わることは当然あるし、あるいは時間ももらいたいし、そういうことはきちんと分かってもらいたい、というふうに言いました。クリントン長官も、政権が変わるというのは大きなことなので、そのことは理解している。

 そういう中で実は、日米合意についての検証作業、なんで今の案になったのか、つまり普天間を辺野古に持ってくるという案になったのかという検証作業は、やりましょう、という合意になって、以来対応してきたところです。最初は日米それぞれでやってきたわけですけれども、この前のオバマ大統領が訪日される少し前に私とクリントン長官、ルース大使との間の合意で日米共通してワーキンググループを作って…(一部不明)…で検証作業をしていく。で、その検証作業をいまやっているという状況です。

 ですから彼らがこの間ゆずらなかったのは、白紙にするんじゃないよと。いまの案を前提にして、なぜいまの案になったのかという検証ならいいけれども、それを白紙にしてゼロから議論するというのはアメリカは呑めないよと。そういう中で、妥協案がいまの検証作業なんですね。そのことについてはあえて触れず、とにかくなぜなったのかということを検証すると、そういう位置づけの中で様々なことを議論してまいりました。

 まー2ヶ月間やって、日米同盟を非常に重要視する立場の人たちからは、日米同盟が極めて危険な状況に今なってると、日本政府はいったい何してるんだと、こういうご批判もいただいております。私は多少こう揺れがあることが、政権が変わった以上やむを得ないことだと思って、かなりやってはいましたけれども、時間もずいぶん経っている。そういう中でですね、来年度の予算案、アメリカの予算案を決めなきゃいけない。政府の案というのはかなり削られた状態になっていましたけれども、それをどうするのかという、そのぎりぎりのタイミングにいま来てると、いう中で日本はどうするんですかと、いうことを突きつけられていると、いうことであります。

 社民党が政権離脱を言いましたので、年内がかなり厳しくなってきました、結論を出すということについてはですね。それに対しても昨日(4日)、日米間で議論した時に、私は年内にできるだけ結論を出したいと思うが、客観的状況は非常に厳しい。北沢大臣も年内は事実上難しくなってきたというふうに言いました。ただし、アメリカ側からは、それで日米合意したことが守られないということなれば、これは重大なことになると、こういう話であります。

 少なくとも言えることは、8000人のグアムへの移転と、その結果としての基地の返還という話は決まりまして、それだけではなくて日米、例えば普天間協議とオバマ大統領との間の非常に高い信頼関係、議会の対応についてですけど、それも、非常に、その信頼感というのは損なわれますよと、いうことも含めてですね、かなりな反応が返ってきているわけで、そういう中で日米同盟というものを、きちんと持続していかなきゃいけない。北朝鮮の問題もあります。いろんな…(一部不明)…の問題もあるでしょう。そういう中で、日米同盟をきちんと持続していく、あるいは強化していくという立場からすると、私はその立場ですが、非常に厳しい状況にいまなってると、いうことであります。

 少なくともこういうことで結論がずっと出ないということになると、あるいはこれから新しい所を探すということになると時間がかかりますから、その間普天間のいまの状況が続くかもしれない。元々はこの普天間の危険な状況をなんとか除去したいということからスタートしたことから考えると、結局、本所がこれからまた続いていくと。そういうことで果たしていいんだろうかと、こういう問題もあるわけであります。いまこういう状況の中で色んな手を尽くして、どうするか、総理ともよく、意見調整をいま、させていただいているところですが、非常に苦しい、厳しい状況だということであります。

司会>はい、有り難うございました。

大城敬人>私は名護の市議会議員で8期31年、もう議会で粗大ゴミになってます(笑)。あなた方が無血クーデターで政権交代されたんで、非常に期待しておる。期待してまいりましたが、先ほどからありますように、今日、普天間に対する岡田外務大臣の無礼を感じまして、これは大変だと思いましてですね、今日はどうしてもきっちりさせておかなければならない。二、三ですね、ぜひご検証をいただきたいと思うんです。

 一つは、私がいつも考えていることはですね、どうして日本人1億3000万人の安保を沖縄県民130万人が担わなければいけないのか、というのを常に私は疑問なんですよね。というのは、64年前に戦争に負けて、27年間われわれは本土から離れて、われわれは異民族の支配で、軍事優先で、辛苦をなめてきました。この思いは、岡田大臣は重々承知していると思いますが、岡田大臣は三重県の出身です。基地がないですね。私は伊勢の志摩のですね生牡蠣、とても美味しくてですね、向こうに行って食べたことがあるんですよ。ああいう美しい自然にですね、普天間の移設をしたらどうか、というようなことを考えられたことがあるのかなと。ときどき思ったりするんですよ。

 そう申しますのはですね、この間キャンベルとお会いしたでしょう、私は2005年の2月3日に当時CSIS(戦略国際問題研究所)の副所長時代にキャンベルさんに会ってですね、1500メートル(滑走路)の移設問題に私は名護市から反対の議員としてまいりましたということでお会いしました。その時に彼が言ったのは三つだったんですよ。環境問題と住民運動とコストが高い。だから大城議員、8月には断念です。それに大変期待して帰ってきたんです。

 ところが今、岡田大臣が言われましたように、この検証していただきたいのは、なぜ1500メートルが今の案になったか、というところですよね。ここはですね、非常に曖昧です。いわゆる1500メートル断念と言いませんでした。2005年の10月29日にですね、米軍再編ロードマップの中間報告ということでね。

 橋本さんが来てモンデールとできたと、あれはぬか喜びですよね。ところがですね、お訊きしたいのは、その中間報告があった10月29日の2日後の10月31日にですね、辺野古区の最高決議機関である行政委員会がですね、4つの項目で全会一致で反対決議をしてるんですよ、地元が。これをですね、ずっと無視された。名護市民はご承知のように1997年の市民投票を無視された。こういった点で民主主義の手法からすればですね、当然のこととして地元が最高決議機関で反対している。名護市も反対している。であるならば、当然これはですね、ルールとしてはそれを尊重すべきだと思うんですが、今日までこれはまったく無視されてきています。

 そのことについてですね、岡田大臣は承知されたのどうかということと、それからですね、私は岡田大臣がどういう信仰を持っているか知りませんが、実はこれはですね、今度のアセスで出たですね、後出しジャンケンのですね、アセスなんですよ。なかったことを全部出してきましたね。ここに何があるかというと、辺野古川の入口のここですね、私の信仰のメッカなんです。沖縄は祖先崇拝なんです。1990年の…(一部不明)…にですね、私は12月に栗原セイジロウさん、あの当時の副官房長官、彼に総理官邸でこれをお見せしてるんですね。これは私の祖先のお墓なんです。ここはシーミーと言ってですね、沖縄の行事で祖先崇拝します。そこにこういう安眠妨害する基地を造るということは、命をかけて反対しますよ。沖縄県民はニライカナイという信仰的なものもあるし、こういう沖縄の幸せを奪うのであれば、県民全部たたかいすよということを13年前に申し上げたんですよ。

 ところが、私どもはこういうことでね、大事にする祖先のお墓の上をですね、こういう人殺しのヘリコプターが飛ぶというこは許されない。こういうことをあえてやるのかという問題があります。

 それからですね、今日はパネルもいっぱい持ってきたんですけど、実は今日ですね、入場制限がされておりまして、(会場内には)辺野古の人は一人ですが、外の方に86歳のひめゆりの生き残りの宮城清子先生や、糸満で戦禍にあって火傷している島袋文子さんとか、入口でずっと待っておられるんですよ。大臣に会いたい見たいし、話しもしたいと。入れなかったんです。それで私は代わってこうしてですね、申し上げてるんですが、そういう意味からしまして、この前県知事が鳩山大臣に出したように、いま辺野古の部落は四面楚歌ですよ。実弾射撃演習場、エセックスが来て(ヘリが)飛び交う。一昨日の夜、午後11時まで無灯火で国立高専のすぐ後ろ側で離着陸をやってるんです。

 それだけではありません。廃弾処理でですね、ここに来られている人は、はい分かります、廃弾処理で民家にひびが入って、いまだにそれが回復されない。とにかく、辺野古の周辺は朝4時からの早朝からの実弾射撃演習やですね、ヘリコプターは騒音が深夜まで。そういう環境の中でさらにですね、今回こういう基地ができたらどうなるか。生活環境が全部破壊されますよ。現在(辺野古の住民が)1500人に対して6400人の米兵が来る。キャンプ・シュワブの人口がそうなる。大変なことになりますね。殺人事件も起こってますよ。

 これはですね岡田大臣、やっぱしですね、時間がないとかこういう問題じゃないんですよ。アメリカでは市民投票で反対決議をしたらストップしたじゃないですか。そういう例から見ればですね、日本国の大臣としてですね、やっぱし国民の問題を大事にしていただきたい。アメリカとの問題で独立国としての主張をしっかりしていただきたい。そうじゃないとですね、…(一部不明)…と思うんですよね。先程来からのお話を伺うとですね、なにか…(一部不明)…があるとかですね、そういう問題じゃないですよ、われわれは。64年間、苦しみに苦しんでるんですよ。県民は基地の重圧で苦しんでるんですよ。

 そういうことをですね、岡田大臣どこまでほんとに…(一部不明)…てるのかですね、非常に私、疑問なんです。ぜひお答えいただきたい。われわれの思いは通じてるのかなと。年寄りを排除してですね、入れないということは、こういう思いがあるんですよ。入って来れないで寒い中で待ってるんですよ。

渡久地知佳子>すみません、名護市の渡久地と申します。私たち家族ずっと12年間反対運動してるんですけど、その12年前の市民投票の時にこの子が生まれました。こんなに大きくなってます、もう12年経ってますので。ずっと私たちの反対運動に一緒に連れて歩いてます。なぜならば、この子たちの未来がかかったことなので、私はすべてを見せてきました。今日は岡田外務大臣に会いに行くよ、と言ったら、僕も言いたいことがあるというので連れてきました。ぜひ聞いてもらえますか、お願いします。
(拍手)

渡久地武龍>僕は名護市立小学校6年の渡久地武龍です。僕が生まれた年に行われた市民投票で、基地は造らないと約束されました。これはとても大切な約束です。岡田外務大臣、約束は必ず守ってください。大浦湾や辺野古の海は僕たちにとって大切な海です。僕たちの海や僕たちの未来を絶対壊さないでください。よろしくお願いします。
(拍手)

渡久地武清>あのー嬉しいです。ほんと今日嬉しいんですよ、岡田さんここに来てくれて、話し聞いてくれるんだなーと。私、いま仕事の合間抜けて来ました。見てください、この子がこんなことを言うために、私は育てたんじゃない。あの、ほんとに家族らしく、年から年中このことばっかしですよ私は、頭の中が。普天間の人がどうなったか分からないからここに移す、これは…(一部不明)…ですよ。私たちもここに住んでるんですよ。これから一生住まないと、おじいちゃん、おばあちゃん、移させた人も、これからここで、環境、色んなもうすごいですよ。こういうとこで、この子は育てていこうと思ってます。これからも、家族。

 で、いま部落でも二分されて、もう顔も見ないぐらいですよ、目も見ない。それで話し合うんですよ、部落の行事なると。西川さんがこう言いました。辺野古だけじゃない、この地域まっぷたつ、宜野座、もう点々と、基地のある所どこでもそう起きてます。

 私はだから、これから先、子ども育てていかなきゃならないし、生活もあります。この基地の問題が起きてから、私どこで仕事してると思いますか。まあ、これはちょっと言いますけど、こういう関係してるから、土建業の仕事もらってるんですよ。んだ、干されて仕事もらえない。どこで仕事するかといったら、名前も顔も売れてない所ですよ。でも子どもを守るために顔を出さなければならない。なんとか、こんな中でも一生懸命やって、命あってこそ仕事できるんだということがねー、分かりよったわけです。家族で育って、今日もぜひやってくれと、デニーさんにお願いして。いまも…(一部不明)…んですよ。この間も伊是名まで行ってきました。こういう所まで仕事をしながら生活をしています。単価も下ろして。

 絶対私はここに基地造らしたら、…(一部不明)…一生恨みます。この子にも継いでもらいます。この基地を絶対に許すなと。この子どもたちよ、絶対に許すなと。そういうふうに私は覚悟を作ります。私はそういう気持ちでいまも、運動ではない、生活するための術だと思って、私は頑張ってます。反対運動じゃありません。命を守るためです。

 だからいま、岡田さんも来てくれたんですから、せっかく、こういった生の声を聞いてください。皆さんもねー、ほんと私ぐらいですかね…(一部不明)…、そういった人たちも呼んでですね。傷つけられて痛い人たちもいると思います。この人たちの話を聞いてもいいんでないですかね。こういった話がどうなるかというのをね、ちょっと考えてもらって、ぜひともこっちに造らさないで、できたらもうアメリカ。さっきから言ってました、ほんとに。時間なんてどうだっていいんです、13年間わったーこっちで生活してきたんです。造らないでくださいと。明日、明後日のことは待ちます。決は出さずに、こういった人たち、私たちみたいな話を聞いて、ちゃんと、造らさないでよかったという、気持ちになってください。お願いします。ぜひとも。
(大きな拍手)

司会>では、お二人にお答えしたいというふうに。


岡田外相>まー、あのー、沖縄は本島部分では二割が基地ということで、それはもう日本の中でも他にないことですね。そのことは、われわれも十分分かっています。私は外務大臣になる直前に『世界』という雑誌にインタビューを受けて、その時に申し上げたんですが、うーん、やはりそれは沖縄の地が戦場になりね、そして、占領されたということがなければこういうふうにはなってないわけですから、まー、そういう戦後の沖縄の悲惨な歴史の延長線上でいまも、基地がこれだけある沖縄というのが存在していると、いうことですね。それは分かってるつもりです。

 でー、そしてこういう状況がほんとにいつまで続けられるのかと。私は最初に外務大臣になった時に、クリントンさんに言ったんですけども、やはり30年、40年、いまの日米同盟というものをより強くして、持続可能なものにしたいと、それは私の信念です。しかし、そのためにはですね、基地の問題を、負担の問題もしっかり議論していかなきゃ、そういうことにはならないと、いうことも申し上げたところであります。

 えー、実際、いま日米間で様々な議論をしてるんですが、例えば地位協定をこれからどうしていくかとか、ま、これも簡単な話じゃないんですけども。あるいは日本に返還される予定の米軍基地について、どういうタイミングで返すのかと。あるいは嘉手納、普天間の騒音の問題、あるいは訓練について、なるべく負担を減らすためにはどうしたらいいのかと。そういうことをいま真剣に議論しているところであります。

 ま、今度政権が代わったから、そういうふうに変わったんだと。いままでそんなこと、あんまり真面目に真剣に議論してきたって話はあまり聞きませんので、それは政権が変わったから、そういうこともあり得るということで。

 ただ、いまのお話を聞いておりまして、ほんとにこのー、普天間の基地の辺野古への移設の問題に、ずいぶん長い間、地元で反対してこられた方から見ると、大変な思いがあると。ただ、少し負担を減らしてやると、やはり、日米安保、日米同盟を前提にするとどっかに基地は必要だと、いうふうに私は思います。もちろん、その基地がいざ来るとになった所に、負担が過重にかからないようにしなければいけないと、いうふうに思いますけども、しかし、日本に基地が必要だという前提になれば、どっかがそれを引き受けなければいけない、という問題。それは率直に言ってですね、避けられない問題であるというふうに思います。

 もちろん、その当事者になったら、とんでもないと、なんでここなんだと、ま、そういうふうになるとは思いますが。ま、そういう中で、色んな話し合いを経てですね、そして日米間でよく…(一部不明)…ができたということであります。それをどこまで考えるかということをいま議論しているわけですが、なかなかその余地というのはそう大きくないというのが今日の…(一部不明)…までの結論でございます。もちろん、いますぐ、じゃあ合意だからといって、日米両国政府でこうしましょうと、そう簡単に決められない問題であることも分かっていますけども、実は沖縄の皆さんのご意見を聞かせていただきまして、まーしかし、なかなかそれに代わるですね、答えがいま見つかってないと、結局はそうです。

岸本洋平>こんにちは。地元の名護市議会議員をしている岸本です。先ほど日米同盟の話もありましたけども、シャルル・ドゴールフランス大統領が、超大国に共に歩む国の将来の危うさということを話していて、そういうこともしっかり心に置きながらというか、勉強しているところですが、1月には首都圏の方に行きますので、ぜひ…(一部不明)…。それからあの、先ほどV事案の検証をしてきたということでしたけど、L字からV字になった経緯について、どのような見解なのかお訊きしたい。

浦島悦子>私は基地が予定されています大浦湾沿いに住んでます住民で作ってる「ヘリ基地いらない二見以北十区の会」の浦島悦子と申します。先ほどから色々お話がありましたが、私たち13年間ほんとに苦しい思いをしてきました。

 なぜ地域のお年寄りが基地はいやだって言うかというと、沖縄戦の体験の中から、あのような苦しい思いを二度と子や孫に味わわせたくないという強い思いと、それから、焼け野原になって何も食べ物がない時に、夫を亡くした女性が海の物を採って子どもを育てられた。命の恩人である海を基地に売ったらばちが当たると口癖のように仰るんですけど、そのような思いで13年間反対してきてるわけですね。

 しかも、その中で自公政権による様々な脅しとか、お金とか色々な形で地域がずたずたにされてきました。ほんとに来て生活していただいたら分かると思うんですけど、過疎地です、私たちの所。過疎地でいままで声を上げても、どんな生活の不便を声を上げても、全然改善されなかったのが、基地問題が起こってから、防衛庁あるいは防衛省に頼めばなんでもやってくれるという、物凄くおかしないびつな構造があるんですね。そのために当初は地域一帯となって反対していた、地域のリーダーの方々を中心にして条件付き賛成というふうになっていって、そして、そのために地域の住民が物を言えないっていう状況にさせられてきた。

 でも、ほんとはみんな基地は造ってほしくないし、もし来たらほんとにこの地域にこれ以上住めるんだろうかという不安を抱えながら、毎日生活してます。その中でほんとに、民主党政権が誕生した時に、これで私たち救われると思ったんです。これまでの苦しい思いを、民主党政権が私たちの上に重くのしかかっている暗雲を取り除いてくれる。特に岡田さんの発言は、私たちにとって物凄い力になるものでした。それがいま、このようにして辺野古しかないって、私は実はこの集まりも、結局は辺野古に持っていくよという結論を出すためのアリバイづくりに私たちは利用されているだけかなと、はっきり失礼ですけど、そういうふうにも思ってました、一部では。

 でも、もしかしたら私たちの思いを受け止めて、そうでない道を探してくださるかもしれない、13年間の思いに比べれば、私たちはほんとにさっき渡久地さんたちも言いましたけど、待ちます。何年でもって、とにかく13年間はかからないと思います、結論出るのにですね。早急に結論は出してほしくないです。

 もう一つ私不思議なのは、県外・国外って仰っていたからには、何か根拠があったんだろう、どこかそういうことを検証されていたんじゃないかというのがあったんですけど、それが一つもなされていない。県外の例えばこういうところが候補地として上げられてると。でも、ここはこういうことがあってなかなか難しいとか、そういうお話がいっさいありません。そこが不思議でならないんです。だからたんなる県外・国外というのは、選挙のためのリップサービスにすぎなかったのかという、非常にがっかりした思いをいま抱いてます。

 ここに来ている皆さんは、みんな同じ思いだと思うんですね。なぜ…(一部不明)…だけがそういう思いをしなければいけないのか。私たちよりアメリカの方が大事なんですか。私たちは同じ日本国民です。どうかその辺を考えていただいて、ぜひ辺野古には決めないでください。お願いします。
(拍手)

司会>では時間の関係上、岡田衆議委員からの発言にしたいと思いますが…、あ、おひとりだけ、短めに。

稲嶺進>稲嶺進と言います。これまで多くの方々が、思いをいっぱい出して訴えました。この名護市は97年の市民投票以来、13年も…(一部不明)…あったような状況を、これまでずっと基地問題に翻弄される中で生きて、生活をしてまいりました。このことは名護市の色んな行政面に、非常に大きな影を落としてですね、街づくりが非常にいびつな形で進められるという状況にもなっています。

 この市民投票で出された結果と同じように、最近のマスコミの評価でもですね、7割以上の皆さんが、県外移設という新聞での報道もなされました。このことは、先ほどから皆さん仰ってるように、まさしくこれこそ名護市、あるいは沖縄県の皆さんの民意でありますので、ぜひそのことを真摯に受け取っていただきたいと思っております。

 辺野古の海には新しい基地はいりません、というのがいまの皆さんの思いであります。名護市にはもうこれ以上の基地は、もういらないんです。命よりまさるものはないという、これ以上いらないということが、先ほどからの皆さんの意見で、そのことをしっかりと受け止めていただいてですね、皆さんの意思に答えるような結論を出していただきたい。

 先ほど来年1月の市長選挙もありましたが、今回もまた基地問題が争点になります。いつまでこのようなことが続けばいいんでしょうか。もうこれだけにしたい、もう終わりにしたい、それが本音であります。(拍手)

 この辺野古への基地建設はですね、もうぴったりと最後にするということをですね、しっかりと政府の方で、県民に、国民に対して明言をしていただきたい、とこう思います。実は、今日、多くの皆さんの意見、思いなどもですね、実はここに現状、苦悩、思いなどをしたためた物を持ってきたわけですが、そのことをここでは沢山は申し上げられませんので、あとでこれをお渡しをしたいと思いますけれども、ぜひ今日ここに来られてる皆さんの思いを受け止めていただきたい、というふうに思います。

 最後に、どうぞ辺野古には基地を造りません、というお言葉をいただきたいと思います。よろしくお願いします。
(大きな拍手)

司会>それではよろしくお願いします。

岡田外相>まずあのー、先ほどのお話に出ましたけれども、本来、基地を造るかどうかという話、あるいは日米同盟という話は、国の話なんですね。ですから国が決める話を、名護市の市民の皆さんが長きに渡ってですね、…(一部不明)…分断を強いる形になっていたことは、ほんとに申し訳ないことだというふうに思います。これは本来国が責任を持ってやらなければいけない話だと思います。

 そして、先ほど7割が県外というふうに世論調査の話がありました。私もそのアンケートは何回か目にいたしました。それはその通りであります。しかし、それはあの県外か県内かと言われれば、多くの方が県外を選ばれるのは当然だというふうに思います。しかし、もう少し現実にやる…(一部不明)…していくと、県外ということは、もちろんわれわれも様々な検証はいまやりつつありますが、しかし、すぐですね、えー、…(一部不明)…滑走路がすでにあって、しかも民間では使わないというようなものは、それは…(一部不明)…しかありませんからね、現実に県外といってもですね、それは時間がかかることは間違いない。地元の説得も必要になってきます。それだけに沖縄の…(一部不明)…それは今の普天間の状況がその間、いまのまま続くということでもあります。 そのことについて…
(会場内騒然として聞き取れず)

ヤジ>(普天間の)地元の皆さんは名護に反対してますから。

岡田外相>地元の皆さんがどうなのかという話……

(ヤジで聞き取れず)

岡田外相>ですから、単純に県外がいいかどうかという質問の立て方ではなくて、そういった普天間もその間、固定化しますと。あるいは7000人、8000人の海兵隊の海外への移転というのは、まさにアメリカもこれ、簡単には認めないとなるでしょう。そういうことも含めて判断した時に、どうなのかと訊けば、それが7割になるかどうかというのは議論になると思います。

ヤジ>いやもう、県民を恫喝してるだけですよ。

ヤジ>辺野古なら簡単にできるんですか?

ヤジ>辺野古ならいいんですか?

岡田外相>そういうことを言ってるわけはないです。

ヤジ>そういうふうに聞こえるんですよね。

岡田外相>7割の理由について言ってるんです。

ヤジ>いや、だからそういうふうに聞こえました。

岡田外相>そういう中で、妥当的な判断をしていかなければいけない問題だということを、ここはぜひ…(ヤジで聞き取れず)、…分かっていただきたいということで、だいたいそういう考え方でいま議論しているということであります。

ヤジ>どこにでも造ってはいけない。

ヤジ:大臣が分かってないんだよ。

岡田外相>もちろん、地元の反対をしてこられた皆さんの(ヤジが飛ぶ)気持ちは納得されないというのは分かりますけど。

ヤジ>県民いじめですよ、いや、反対でない、県民ですよ、県民、命ですよ。

ヤジ>あと20年かかってもできませんよ、辺野古では。

ヤジ>できないね。

ヤジ>普天間の人は、伊波さんもですね、名護市にやってくれとは言ってませんから。

岡田外相>大前提として、いや、あの、普天間潰せばいいと、いう話はわれわれはこれ前提には立たないと、これははっきり申し上げておきます。日米合意は重要であると。そして、普天間の機能はどこかに必要である。それは我々の議論の前提ですから。そういう議論の前提のところで違いが分からないと…(ヤジが相次ぐ)。

ヤジ>日米合意がなぜ重要なのか…


ヤジ>ちょっと大臣、伊波市長は名護市に反対してますよ…

司会。えー、時間が来てますので…(会場が騒然として聞き取れず)、…これは…(一部不明)…ということでの、市民集会ですので、それでは閉会の…(一部不明)…まとめさせていただきます…(会場内騒然)。

ヤジ>今日の集会が…(一部不明)…アリバイになったら困りますよ。われわれをアリバイに利用したら困りますよ。

ヤジ>うんそうだよ。

ヤジ>時間かけて検討せー。

(ヤジで会場内騒然)

ヤジ>何言ってるか(怒声)。

ヤジ>鳩山総理大臣がやってきたんですよ…

司会>えー申し訳ありません。今回は時間の制約もあってですね、自由な意見とか色々あるということも分かりますけど…(ヤジで一部不明)…かなり、いまの状況の説明はある程度、すみません、できたと…(マイクが割れて聞き取れず)…、伝えたいと思いますので、ぜひそのことを確認させていただきたいと思います。

ヤジ>普天間が…(一部不明)…と声高に言うのはね、脅しになりますよ、県民に対する。

岡田外相>いえ、私は脅しと感じておりませんから。

司会>今日はどうも有り難うございました。

岡田外相>皆さんの貴重なご意見をいただいて、そのことは大変、私にとりましても非常に勉強させていただいたと、いうふうに思っております。ただ、私は日本の外務大臣として、日本全体の安全ということを…

ヤジ>沖縄を犠牲にしてもいいのか。沖縄は。

岡田外相>もちろん、もちろん、沖縄のことも考えているからこそこれだけ、われわれ苦しんでいるんであって…

ヤジ>当然ですよ、当然ですよ。

岡田外相>ですからそういうことをね、ご理解いただき、これからわれわれが結論をどうするかということは、いまの時点では決めておりませんけれども、沖縄の皆さんの声、今日お聞かせていただいた声を、そういった声も、十分に念頭に置かせていただきながら、決して容易な決断ではないですけれども、最後は、わたくし外務大臣、そして鳩山総理、それぞれの責任で決断をさせていただきたいというふうに思います。もちろん、…(一部不明)…そういう決断になるということではなくて、皆さまの様々な声を聞かせていただいた、その結果としての決断を…(一部不明)…しなければいけないということも、ぜひご理解をいただきたいというふうに思っております。本日はどうも有り難うございました、ご意見いただきまして。

ヤジ>岡田さん、沖縄だけ犠牲にしないで下さい。

(会場内騒然)

司会>恐れ入りますが時間が時間を過ぎておりますので、この場での交流集会は閉じてきたいと、時間の都合上…(騒がしくて聞き取れず)…、こういうふうにさせていただいたのも、できるだけ多くの人の皆さんに、市民の方も…(一部不明)…方もいるわけですから、そういう状況の中でさせていただいたということ。また、…(かなり不明)…、こういう機会があればぜひ…

ヤジ>何回でも来てください、大臣。何回でも来て。

司会>よろしくお願いします、はい。有り難うございました。どうも拍手でお送りください。有り難うございます。

(拍手およびヤジ)

ヤジ>大臣、大臣…(騒がしくて聞き取れず)…違うルートからの情報も聞いて判断してください。偏った情報だけを聞いてるんじゃないですか、大臣は。

騒然とした中、岡田外相と市民との「対話集会」終了


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テープを文字に起こされた方の感想です。

 5日に行われた岡田外相と「市民との対話集会」の録音テープを起こしてブログに載せたら、かなりのアクセスがあった。多くの人がこの「対話集会」に関心を持っていたことを認識させられた。

 テープを起こしながら感じたことを少し書いておきたい。

 発言の中に「…(一部不明)…」とあるが、大半は時間にして1~2、3秒、単語にして1~数語レベルである。最後の7でヤジが乱れ飛んで会場が騒然としたところでは、司会の発言が数秒ほど聞き取れないところがあった。それ以外は(一部不明)といってもごく短いものである。岡田外相をはじめ参加者の発言を誤って記述しないように注意を払い、私なりに正確に聞き取れた範囲内ですべて文字化したつもりである。もし実際の発言と違いがあれば、私の聞き取りミスである。

 後半、岡田外相の発言で「…(一部不明)…」が増えるのは、音声が小さくなって前半より聞き取りづらくなったためである。マイクを使っていない参加者の発言の方が、岡田氏より聞き取りやすくなっている。これは私の想像だが、外部に音声が漏れないように、岡田外相の使っているマイクの音量が途中から絞られたのではないか。実際に会場内にいたわけではないので断定はできないが、録音テープを聴いている限り、冒頭のマスコミ取材を許可した部分と、後半の岡田外相の発言には、音量にかなりの差がある。参加者の発言と比べても、これは録音状態の問題ではない。

 それと併せて疑問に感じるのは、参加者の発言にマイクを使用させなかったことだ。マスコミのマイクと混信するから、という理由は本当だろうか。地声でも聞こえるように静粛にしてほしいと司会が発言しているが、これも参加者の発言が外部に漏れないようにという考えから、意図的にマイクを使わせなかったのではないか。民主党県連・3区支部はあらぬ憶測だと否定するだろうが、会場を密室化した対応を見ると、そのように疑ってしまうのだ。

 ヤジについては、それも参加者の大切な発言だと考え、聞き取れたものはできるだけ載せることにした。声が錯綜して聞き取れないものが多く、実際のヤジの数は載せた数の比ではない。会場の騒然とした様子を聞きながら、民主党県連はそれを予想し、見せない、聞かせない、という方針で「対話集会」を取り仕切ったのだろうと思った。しかし、それは狙いとは逆の結果をもたらしただろう。

 政治家が市民と「対話集会」を持つことは大切なことであり、積極的に行われるべきだ。今回の「対話集会」にしても、もっと広い会場で市民に自由に参加してもらい、マスコミにも公開していたら、アリバイづくりという批判はあったにしても、「対話集会」自体を評価する声はもっと大きくなったはずだ。情報公開を主張してきた民主党が、このように非公開の密室化した「対話集会」を行うことにより、むしろ不信感と反発を増幅させたのである。その結果として岡田外相や民主党への評価を下げたことは、明らかに判断ミスであった。

 「市民との対話集会」全面公開1~7を読めば、名護市民一人ひとりの発言から13年間の切実な思いが伝わってくると思う。実際に声として発言を聞くと、その切実さは文字化されたそれよりずっと強く伝わってくる。司会の玉城デニー議員は〈ユーチューブに載ったら大変なことになる〉と発言しているが、そんなに市民の生の声を封じたかったのか。

 しかし、岡田外相は自らの耳で、限られた数とはいえ名護市民の声を聞いた。その声の背後にはさらに何十万という沖縄県民の声がある。それを踏みにじって、日米同盟強化のために、辺野古への新基地建設を強行するつもりだろうか。

 今日の最新ニュースでは、鳩山首相と岡田外相、北沢防衛相、前原国交・沖縄相が話し合いを持ち、鳩山首相は今月18日までに政府方針を出す意向という。沖縄に負担と犠牲を押しつけて「日米同盟」が維持・強化されると考えるなら、大きな間違いだということを、鳩山首相や岡田外相ほかの閣僚は肝に銘じておくことだ。

外相の県民対話 危機煽るだけでは情けない琉球新報社説
2009年12月7日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-153847-storytopic-11.html

 県民の願いに、誠実に応える柔軟性や展望はあるのか。岡田克也外相の言動は、疑問だらけだった。
 「住民との対話」を掲げ就任後2度目の来県をした外相だが、米軍普天間飛行場問題について、行く先々で県内移設合意の不履行による「日米同盟の危機」を強調した。聞き役ではなく、まるで官僚に操られた“危機煽(あお)り役”だ。

 県民は戦後64年間の基地とのかかわりの中で、何が現実的で、何が非現実的かを理解している。

 公共事業など基地がもたらす恩恵は限定かつ一時的であるが、基地被害などの不利益は広範かつ長期に及び、基地は固定化する。

 米軍が兵士の綱紀粛正、騒音防止措置など住民生活への配慮を徹底すると言っても、米軍絡みの犯罪や被害はなくならない。

 国の天然記念物ジュゴンなど希少生物や豊かな自然をはぐくむ辺野古の海への新基地建設に、国内外の環境保護団体が異議を唱え、国際世論も辺野古移設を許さない。

 「辺野古合意が最善」との考えには根拠がない。日米両政府は沖縄の戦略的重要性を誇張し、米海兵隊の駐留に執着するあまり、日米関係が深化ではなく劣化しかねない現実こそ直視すべきだ。

 鳩山由紀夫首相は自民政権と官僚が営々と築いてきた対米追従外交に風穴を開けるべく、まずは閣内の意思統一を図るべきだ。普天間撤去こそが現実的で、日米関係への信頼を改善し、日米両政権の価値を高める道だ。

 岡田外相は衆院沖縄4区の議員懇談で、米側が辺野古にこだわる理由について「オバマ大統領が米国内で支持率が下がっている中、議会から対日交渉で弱腰だとの批判を避けたいのではないか」と推察した。国民よりも米国の意向に顔が向いた情けない発言だ。

 米政府高官は普天間問題の越年について「懸念は伝えたが、日米関係は成熟している。日本は最も重要な同盟国の一つだ」とし、国務省のケリー報道官も「米国は日本政府の見直し作業を喜んで手助けする」と述べた。日本の官僚が民主党の「県外・国外移設」方針に待ったをかけ、執拗(しつよう)に「日米同盟の危機」を煽る姿とは大違いだ。

 鳩山内閣は普天間撤去へ向け、政治主導の真価を発揮する時だ。鳩山、オバマ両首脳が特使を派遣し、政治主導で打開を探るぐらいの強い指導力が必要だ。

2009年12月5日土曜日

【報道番組】 捏造報道(フジTV)

12/05/2009

フジテレビの調教キャンペーン
一昨日前フジテレビの報道番組から私に出演依頼の電話があった。彼らは私にオバマ大統領の経済政策について番組でコメントをしてほしいという。またrecovery.governmentのサイトを読んで分析をすることも頼まれた。

私はオバマ大統領の経済政策はアメリカを益々みじめにしている理由を説明した。先ずアメリカ経済データの捏造を具体的に説明し、アメリカの失業率が米連銀のエコノミストの試算で17.5%になっていることも伝えた。

それからrecovery.governmentのサイトが嘘八百であることも説明した。口約束ばかりをしているが、実際には全く実施をしてないことを具体的なデータを用いて説明した。アメリカが倒産している理由も伝えた。日本と中国政府のデータを見ればわかるように、現在誰もアメリカ国債を買っていない。オバマが昨年中国から一兆ドルを借りたが、それを全部使い果たしもうこれ以上借りることは出来ないのだ。

このように具体的な裏の取れる事実を沢山述べた後、フジテレビのプロデューサーは上司に相談すると言い出した。そしたらこういう回答がきた:「すいません。明日の出演依頼はキャンセルさせて下さい。今回の番組の趣旨は日本がアメリカの真似をするべきだということなので、あなたは呼べません。」

要するにフジテレビの「報道」番組は、予め決められた結論を事実と関係なく日本国民に押し付ける仕事をしている。これは立派な売国奴行為だ。悪質な外国勢力のためのプロパガンダだ。本来の報道の在り方は国民に客観な事実を伝えることであり、国民を騙したり、洗脳をしたりすることではない。

是非これを機会にフジテレビの調教キャンペーンを始めたい。共感された方は是非スポンサーによる広告のボイコットへの呼びかけと、抗議の電話をして下さい。「報道番組で国民を騙すことを止めないと、もうフジテレビのニュースを信用しない」と伝えて下さい。電話をかけると代表が出るので、社長室か広報部へ繋いでもらって下さい。フジテレビの電話番号は03-5500-8888です。国民を騙す報道機関を放っておくことは出来ない。

It is time to discipline the Japanese corporate media
The other night I got called by Fuji Television, a major Japanese network. They told me they wanted to invite me to speak on a news program about Obama’s economic policies. I explained to them that Obama was presiding over an economic disaster of historic proportions. Using only data that came from official sources I showed how the real unemployment rate was 17.5%. I explained in detail how the US government was faking its economic data. I showed how Obama borrowed $1 trillion from the Chinese last year and had already spent it and was not getting any more. I told them to check various governments official data to confirm that no foreigners were buying US government bonds. They asked me to look at the site called recovery.gov. I looked at it and explained to them that it was all smoke and mirrors. It was just unkept promises and feel good talk. The TV producer told me to wait a minute because he had to talk to his superior. He then said to me “I am sorry but your television appearance has been cancelled. The aim of this program is to convince the Japanese they should imitate the US.” In other words a so-called “news” program decides in advance what it wants to tell the Japanese people and damn the facts. Running a program like that for an evil foreign group is treason. Real news programs just objectively provide the facts and let the people form their own opinions. We are calling for an international advertizing boycott of Fuji Television until they clean up their act. We are also asking people to phone Fuji Television and ask for their public relations department to explain why they are doing this. Fuji’s telephone number is 813-5500-8888. It is time to discipline the corporate media worldwide.

2009年12月3日木曜日

【沖縄密約】 日本負担金(思いやり予算)

2009年12月03日10時04分

「日米同盟」再構築の道 両国首脳の政治理念、具現化を 


  オバマ米大統領は11月13日、初めて日本を公式訪問、鳩山由紀夫首相と懸案の諸問題につき意見を交換した。1月誕生したオバマ政権、九月スタートの鳩山政権はともに〝チェンジ〟をスローガンに掲げて長期保守政権を倒して躍り出た「民主党」同士。9・11テロ以降の大混乱と、リーマンショックで破綻した市場原理至上主義からの脱皮を目指して〝船出〟、荒波と闘いながら操船しているのが、両政権共通の姿だ。しかし、ブッシュ政権・麻生政権が残した〝負の遺産〟清算の特効薬はなく、体制建て直しの前途は厳しい。

 鳩山・オバマ会談では、両国の基軸「日米同盟」を深化させることを確認したうえで、核軍縮・核不拡散への連携、地球温暖化対策、アジア太平洋地域の安定と繁栄など多角的な協力を話し合い、共同文書と行動計画を発表した。両首脳が掲げる理念と目指す共通目標を再確認した意義を高く評価し、今後の具体的施策に期待を寄せたい。

 多岐にわたるテーマを論じる紙幅がないため、本稿では「日米同盟」、特に米軍再編と沖縄基地問題に絞って考えてみたい。

▽「普天間」解決へ向け閣僚級作業グループ

 「普天間飛行場を県外か国外に移設」――8・30総選挙で訴えて政権を勝ち取った鳩山民主党だが、自民党政権から続いてきた日米外交案件を一気に解決することはできまい。従って今回の首脳会談で、「普天間問題に関する閣僚級作業グループ設置」に合意し、「早期に結論を出す」と取り決めた点を〝一歩前進〟と評価したい。「問題の先送り」と批判する声もあるが、米軍基地についての再検証・再構築を日本側が求めることは当然なこと。現在、普天間移転に関する両国の主張は異なっているが、対等な交渉を通じて、着地点・妥協点を見出す努力こそ肝要である。

 ところが、両国有識者やメディアの一部から、執拗な〝鳩山バッシング〟が依然続いており、不快きわまりない。岡田克也外相と10月20日会談したゲーツ米国防長官は「普天間を移設しなければ、海兵隊のグアム移転はなく、グアム移転なしに沖縄の兵員縮小やほかの基地の返還もない」と、恫喝的な言辞を吐いた。

 そもそも名護市辺野古への移転案は1996年(橋本龍太郎政権)に決まったものの、地元との調整がつかず10年間放置されたまま。その後、2006年(小泉純一郎政権)の「在日米軍再編協議」の結果、〝二本の滑走路案〟によって「辺野古」が再浮上、決着するかにみえた。この再編計画は、米軍の世界戦略見直しの一環で、米国主導で強引に進められたもので、「沖縄駐留の海兵隊8千人を削減、2014年までに完了させる」と決定。しかし、これは普天間移設とパッケージにしたもので、海兵隊のグアム移転の日本側経費負担約七千億円を押し付ける強引さだった。

 ところが、それから3年経過した現在も、移設先が決まらず右往左往するばかりだ。13年間もの無駄な歳月が沖縄県民をどんなに苛立たせているか、〝基地の島の悲哀〟が続いている。
 「ゲーツ長官の無礼な恫喝に対して、その非を咎めたメディアがあっただろうか。米海兵隊の基地が沖縄に存在しなければ日米安保体制が崩壊すると主張する人々に訊きたい。御殿女中よろしく日米安保が崩壊すると大騒ぎしているが、なぜ、一つの海兵隊基地を沖縄の外に移すことが安保体制をこわすことになるのか私には理解できない」
 と、山口二郎・北大教授は「基地存続の罪」をズバリ指摘(東京新聞10・25朝刊コラム)していた。

 一方、オバマ訪日に合わせ、「日本は米国に冷淡」との見出しを掲げたNYタイムズ11・12付記事にはびっくり仰天。「日米関係は1990年代の貿易摩擦以来、最も対立的だ。日本政府は突然、米当局者と公然と争うことに躊躇しなくなり、不確実な新時代に入ろうとしている」との居丈高な論調を、『朝日』『読売』11・13朝夕刊が報じていた。先に「鳩山論文」を中傷誹謗したのも同紙電子版だっただけに、その偏狭な対日圧力には、〝大国の驕り〟が垣間見える。

 「日本の安全保障も沖縄の負担軽減も日米共通の目標なのだ。私が切に望みたいのは、今後、一方が一方に要求を突きつけるのではなく、日米の共同作業の継続を基本にすることである。世界の顕著な変動を受けて将来の日米のあり方をどうするのか、東アジア共同体の考え方や核軍縮と核抑止、あるいは国際安全保障への日米の役割、そして基地問題といったもろもろの課題をきちんと議論し、一九九六年の日米安保共同宣言のような形で首脳宣言をつくる作業を行ってはどうか。オバマ大統領の訪日はその共同作業をキックオフする機会として捉えるべきではないか」との田中均・元外務審議官の提言(『毎日』11・5夕刊)のような将来展望を、メディア報道に望みたい。

▽「思いやり予算」を見直す好機

 政府の行政刷新会議が現在進めている〝事業仕分け〟で、「駐留米軍への思いやり予算」も対象になっているため、経緯を振り返っておきたい。ベトナム戦争後財政ピンチに陥った駐留米軍の負担軽減が、当初の目的だった。1978年に金丸信・防衛庁長官が経費の一部を肩代わりすると表明、「思いやり予算」と言われるようになった。発足時の予算は日本人基地従業員の給与の一部に充てる62億円だったが、米国の景気回復後も減額されるどころか負担額は年々上がり続け、贅沢な娯楽費や施設整備費などに拡大してしまった。

 防衛省HPが公表している年度別予算を示しておくが、予算をむしり取って転用するルーズさに驚いた。
 ▽1978年62億円 ▽79年280億円 ▽80年374億円 ▽85年807億円 ▽90年1680億円 ▽95年2714億円 ▽2000年2567億円 ▽01年2573億円 ▽02年2500億円 ▽03年2460億円 ▽04年2441億円 ▽05年2378億円 ▽06年2326億円▽07年2173億円 ▽08年2083億円 ▽09年(予算)1919億円

 最近多少減額されたものの、日本が78年以降負担してきた「思いやり予算」総額は3兆円を超す膨大な額。他国でも米軍駐留費負担はあるというが、その額の多さは群を抜いており、「世界一気前のいい同盟国」と言われているという。まさに一度走り出したら止まらない公共事業費と同じパターンだったことに、改めて驚愕した。

 「概算要求額一九一九億円のうち一一六四億円が、今回の仕分け作業の対象となる。…在日米軍基地では、司令部の事務職員、レストランやゴルフ場などの娯楽施設職員として計二万五四九九人(08年度末現在)が働いている。日米両国の特別協定に基づき、このうち二万三〇五五人分の給与は日本政府が、残りは米軍が負担している。この日本側負担分が仕分けの対象になる」(『読売』11・7朝刊)とのことだが、基地従業員に跳ね返る問題だけに、仕分け作業は難航するだろう。

 しかし、「思いやり予算」垂れ流しにメスを入れなければならず、「米軍基地見直し」と連動して、「思いやり予算」減額に取り組む緊急性を痛感する。なるべく早く〝お人好し〟過ぎる不条理な慣行にストップをかけることが望ましく、米国の顔色を見て判断するような問題でないことを、国民すべてが気づくべきだ。

▽日米連携で、世界に貢献する提案を示せ

 「ブッシュ政権の八年間、不要な戦争によって多大な犠牲と軍事的弱体化を招いたほかに、アメリカが世界に貢献したものは少ない。日本政府は日米同盟の安定を喜ぶばかりで、とるべき政策を提案することはなかった。日米同盟の堅持だけに日本の外交を押しとどめてしまうなら、同盟によって何を実現するのか、そもそも現代世界ではどのような制度や政策が必要なのかという課題が忘れられてしまう。日米同盟の堅持が問題なのではない。日米両国が現代世界で何を実現しようとするのか、そして実現すべきなのか、課題の設定こそが問題なのである。試みに幾つかを挙げるならば、世界金融危機のような市場破綻を阻止するための制度形成、アフガニスタンをはじめとする破綻国家への国際的関与、北朝鮮ばかりかイランにまで拡散しようとする核兵器の拡散阻止。民主党政権に求められるのは、このようなグローバルな課題に答えるパートナーシップとしての日米関係の構築である」と、藤原帰一・東大教授の論評(『朝日』11・12夕刊)は、日米・民主党政権への力強いエールであり、両国首脳の目指す方向と重なるとの期待を深めた。



2009年09月01日15時58分掲載

「集団的自衛権」見直しを提言 武器輸出三原則緩和の報告書に驚く 


  敗戦から64年の日本、内外に変革(チェンジ)の嵐が巻き起こっている。安倍晋三、福田康夫、麻生太郎氏と三代続いた自民党政権の失態が、国民の政治不信を招き、国際的信用を失墜させた罪は大きい。とにかく難問山積、新政権の責任は極めて重い。中でも、安全保障・防衛政策の動向は、国民の命運に直結する重要課題。政府の独善的判断には、厳しい目を注がなければならない。

▽「安保防衛懇」提言が投げかけた波紋

 「核持ち込み密約」を認めた村田良平・元外務次官証言をめぐって議論が沸騰している折、政府の「安全保障と防衛力に関する懇談会」は8月4日、年末に改定される「防衛計画の大綱」に向けた報告書をまとめ、麻生首相に提出した。「集団的自衛権の見直し」など、踏み込んだ提言をしているが、これは北朝鮮弾道ミサイルに対応する日米軍事力強化を狙ったものとみられる。
 政権交代が取り沙汰されている混乱期に報告書を提出した背景に、「政治的思惑を感じる」との観測も強く否定できまい。この報告書が、2004年報告(小泉純一郎政権時)のように「防衛大綱」に反映されるならば、安保・防衛政策の大転換になる恐れがある。そこで、従来の「報告書」より鮮明になった集団的自衛権や武器輸出三原則の緩和など「新報告書」の重要個所を示して参考に供したい。

▼[日本をとりまく安全保障環境]
 米国の影響力の変化と国際公共財の不足=米国の絶対的な優位は今後も変わらないが、軍事的負担の増大や経済危機の影響で、米国の関与が縮小するおそれ。これまで米国が主導的に提供してきた国際公共財について、米国に加えて、EU諸国など主要国が共同で提供する必要。北朝鮮は核・ミサイル開発を継続しており、世界の平和と安全に対する脅威。日本にとっては、核・ミサイルに加え、特殊部隊による破壊工作も大きな脅威。北朝鮮の体制は先行き不透明であり、体制崩壊の可能性。

▼[多層協力的安全保障戦略]
 日本の安全保障を確保するため、①日本自身の努力②同盟国との協力③地域における協力④国際社会との協力という四つのアプローチを「多層的」に用いて、重層的に問題の解決にあたり、日本の安全確保、脅威の発現の防止、国際システムの維持・構築という三つの目標を実現する「多層協力的戦略」が必要。

▼[防衛力の役割]
 弾道ミサイルへの対応=抑止が最も重要。核抑止については米国に依存。その他の打撃力による抑止は主として米国に期待しつつ日本も作戦上の協働・協力を行なう必要。ミサイル防衛による対処や被害局限も抑止の一環。重層的に構成される抑止を実効的に機能させるためには、日米の連携が重要。現在計画中のミサイル防衛システムの整備を着実に進めつつ、新型迎撃ミサイルの日米共同開発を促進すべき。敵基地攻撃能力を含む抑止力の向上については日米の役割分担を踏まえ、日本として適切な装備体系、運用方法、費用対効果を検討する必要。

▼[安全保障政策に関する指針について]
 「国防の基本方針」は策定から50年以上修正されず。また、「防衛政策の基本」とされてきた(ア)専守防衛、(イ)他国に脅威を与えるような軍事大国にならない、(ウ)文民統制を確保する、(エ)非核三原則、の四つの方針には「歯止め」としての意義はあったものの、「日本は何をするのか」についての説明としては不十分。「文民統制」や「軍事大国にならない」との方針は引き続き重要だが、安全保障環境の変化によって、世界は従来「専守防衛」で想定していたものではなくなっており、今日の視点から検証すべき。

▼[弾道ミサイル攻撃への対応に関する方針について]
 日米協力が重要。弾道ミサイル攻撃からの防衛には、報復的抑止力について米国に依存する一方、ミサイル迎撃や被害局限など、自らの役割を果たすべき。北朝鮮の弾道ミサイルは日米共通の脅威で、米国に向かうミサイルの迎撃を可能とするため集団的自衛権に関する解釈を見直すべき。弾道ミサイルへの対処に際し、自衛隊艦船が米艦船を防護できるよう、集団的自衛権に関する解釈の見直しも含めた適切な法制度の整備が必要。

▼[武器輸出三原則等について]
 欧米諸国は、国際的な分業により先進的な武器技術や装備品を取得しようとしており、日本がこのような枠組に参加できない場合、国際的な技術の発展から取り残されるリスクが高まっている。また、米国からライセンスを受けて国内で生産する装備品等の米国への輸出を可能とすることは、日米協力の深化にもつながる。更にテロ対策に資する装備などの輸出は、日本の安全のためにも必要。武器輸出三原則等を修正、武器輸出を律するための新たな政策方針を定めることが適切。

▽委員の顔ぶれ、〝密室論議〟に疑念残る

 安倍晋三首相は2007年5月、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二元駐米大使)を発足させた。「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍氏長年のテーマで、見直し賛成派の有識者13人(岡崎久彦氏ら)を委員に委嘱。懇談会の大勢は憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認すべきだという方向で議論は進んだが、安倍首相は同年9月に政権を投げ出し、後任の福田首相が解釈変更に消極的だったため、政府における集団的自衛権見直し論議は遠のいたかに見えた。

 ところが、福田氏退陣(08・9)後に首相の座についた 麻生氏は09年1月7日、「安全保障と防衛力に関する懇談会」を〝新装開店〟させた。安倍元首相の意図を継承した麻生首相が同種の懇談会を設立した狙いが、新たに委嘱した委員の顔ぶれからも透けて見える。
 委員は青木節子・慶応大学政策学部教授▽植木(川勝)千可子・早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授▽勝俣恒久・東京電力会長▽北岡伸一・東京大学大学院法学政治学研究科教授▽田中明彦・東京大学大学院情報学部教授▽中西寛・京都大学公共政策大学院教授の六人で、座長は川俣氏。
 このほか専門委員として加藤良三・日本プロ野球組織コミッショナー▽佐藤謙・元防衛事務次官▽竹河内捷治・元防衛庁統合幕僚会議議長の3人が委嘱された。構成メンバー計9人のうち北岡・田中・中西・佐藤の四氏は、「安倍懇談会」に続いての委員。

 青木氏は宇宙法や通信衛星などの研究者、植木氏は国際関係論・安全保障の研究者。北岡氏ら3教授は政府審議会や論壇で活躍している学者。加藤氏はつい最近まで駐米大使の要職にあった。

 「懇談会」は麻生首相直属の諮問機関で、これまで11回開かれているが、非公開のため一般国民への情報は遮断されたまま。「先に結論ありきの懇談会」との批判もうなずけよう。日本国憲法や非核三原則・武器輸出三原則など「国是」変更につながる問題をはじめ、核抑止について様々な議論がある段階で、日米同盟に傾斜しすぎた「懇談会報告」との印象を否めない。

 改憲の論調を掲げる『読売』『産経』は同報告書を評価していたが、他紙の多くが「国民的論議を深めるべきだ」と、集団的自衛権の解釈見直しの動きに警告を発していた。「専守防衛は『戦力不保持』をうたった憲法九条の下で自衛隊を持つにあたって『国際紛争を解決する手段としては武力行使を永久に放棄する』と誓った九条1項を順守するために、戦後の日本が選択した防衛政策の大原則である。法理上はすべての主権国家が保有しているとされる集団的自衛権や、敵基地攻撃能力を政府が封印してきたのも、専守防衛を原則としてきたからにほかならない。

 専守防衛原則の見直しは、その封印を解き、安全保障政策を大転換させることを意味するだけではない。九条解釈を実質的に変更し、平和憲法の変質につながりかねない問題をはらむ」(『西日本』8・11社説)、「政府の憲法解釈は長年にわたる国会論議の積み重ねの結果でもある。国の法体系の根幹である憲法の解釈は法理論上の問題という側面を持つ。安保環境の変化にとどまらず精緻な理論付けが必要だ」(『毎日』8・5社説)などの指摘は尤もで、懇談会報告を鵜呑みにすることは危険きわまりない。

 ただ、「8・30衆院選挙」後に政権の枠組みが変わった場合、安全保障や防衛に関する政府方針も変わるはずだから、今回の報告書が棚上げされるような気がする。いずれにせよ、選挙の洗礼を受けた新政権の下で、国民を守るための「安全保障政策」にじっくり取り組んでもらいたい。


2009年06月27日10時51分
沖縄密約訴訟

「米国が公開の外交文書は存在しないのか」 裁判長が国側に質す 


  沖縄返還交渉をめぐる疑惑は、米国の外交文書公開によって「日米密約の存在」が暴露されてから約10年経過した現在も、歴代日本政府は「密約はない」と一貫して否定している。1972年の沖縄返還から37年経過したが、政府は「文書不存在」をタテに真相を隠蔽し続けているのだ。

 西山太吉・元毎日新聞記者のスクープが事件の発端で、政治権力の強引な捜査は、今でも記憶に残る。佐藤栄作政権は問題の本質を隠すため、事件を「外務省機密漏洩事件」に矮小化して西山記者を国家公務員法違反(秘密漏洩の教唆)容疑で逮捕。一審は無罪だったが、控訴審→最高裁判決で逆転・有罪が確定して〝記者生命〟を失う結末となった。
 ところが、米国公文書の発掘に続き、当時の外交交渉責任者、吉野文六外務省アメリカ局長の「密約文書に署名した」との発言が飛び出した。長年沈黙を続けていた西山氏は2005年、不当判決に対して「国家賠償請求訴訟」を提起。東京地裁、東京高裁、さらに最高裁へと審理は3年余続けられたが、最高裁第三小法廷は2008年9月2日、実質審理に入らぬまま一、二審と同様上告を棄却した。国民が最も知りたい「密約の存在」には一切触れず、「除斥期間」を唯一の理由に、原告の訴えを却下したのである。
 日米間で取り交わした文書の有無に一切口を閉ざし、新証拠や証言を無視した〝逃げ腰〟の姿勢は、言語道断と言わざるを得ない。

 当日たまたま都内で、有識者による「沖縄返還に伴う日米の合意文書・情報公開請求の会」が開かれており、最高裁の〝抜き打ち的決定〟の連絡に衝撃が走った。まるで〝先制攻撃〟のような司法の通告に反発、同日午後直ちに代表者が外務・財務両省を訪ね、「沖縄返還交渉の情報公開」請求を迫ったが、これも10月2日「文書不存在」を理由に却下された。
 これに対し有識者と弁護団は2009年3月16日、「不開示処分取り消しを求める訴訟」を東京地裁に提起した。原告は、桂敬一・柴田鉄治・新崎盛暉三氏を代表者に、西山太吉・奥平康弘・我部政明・澤地久枝・田島泰彦氏ら総勢25人。同時に清水英夫・小町谷育子・飯田正剛・日隅一雄・岡島実・梓澤和幸氏ら30人の弁護団が結成された。
 以上が、「沖縄密約訴訟」についての概括的な経緯である。

▽明解さに欠ける国側〔答弁書〕

 一連の疑惑を正すため「沖縄返還〝密約文書〟公開請求訴訟」第1回口頭弁論は、2009年6月16日午後4時、東京地裁705号法廷で開かれた。原告・弁護団席には20人余が着席し、異様な緊張の中で審理が進められた。

 被告の国側は、原告が開示を求める3文書につき「いずれも保有しておらず、原告が主張する事実関係については確認できない」と〝密約の有無〟への言及を避けた。国側が提出した答弁書第4<被告の主張>に、注目すべき記述があるので原文を紹介する。

 「外務省及び財務省は、本件各開示請求対象文書をいずれも保有しておらず、各対象文書に関して原告らが主張する事実関係については確認することができない。なお、一般 論としては、二国間又は多国間の合意に向けた交渉の過程において仮に様々な文書が作成されたことがあったとしても、それが交渉の最終的な結果である合意自体でない場合等に、事後的に廃棄されることがある。また、沖縄返還に際しての支払に関する日米間の合意は、琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(以下『沖縄返還協定』という。)がすべてである。したがって、本件各処分にはいずれも何らの違法はない。詳細は、追って、準備書面をもって明らかにする」。

 この「国側答弁書」を受けて、杉原則彦裁判長は「米国に密約文書があるのだから、日本側にも同じ文書が存在するはずだとする原告の主張は理解できる。もし密約そのものが存在しないというのであれば、米国の公文書をどう理解すべきなのか、国側は合理的に説明するする必要がある」と述べた。さらに「一般論としては、事後的に廃棄されることがある」との国側答弁書につき、「事後に廃棄ということは、当初は保有されていたということか」と問い質す場面もあった。
 国側は「確認はできない。過去に存在したかどうか、可能性は分からない」と答弁するのが精いっぱいだった。

▽米国並みの「情報公開」を迫った原告の[意見陳述]

 原告団を代表して桂敬一氏(メディア研究者)と我部政明・琉球大学教授が熱っぽい意見陳述を行ったので、ほんの一部を引用して参考に供したい。

 [桂氏の陳述]冷戦時代の遺産さながらの沖縄密約は清算、沖縄問題を含めた今後の日米関係構築に必要な政策は、透明性が確保された協議体制の下での検討が望まれる。日本はまず、アメリカの情報公開制度、とくに政府交換文書の公開制度を見習わねばならない。それは、政府が立案・実施で過ちを犯しても、いつかその原因を発見、政策を正道に戻す、政治の民主的復元力を保障してきた。日本政府は手始めとして、沖縄密約に関してアメリカが公開したものに見合う文書資料を、もう公開すべきである。本裁判がそれを促し、国民の知る権利を満たし、政府に対する信頼の回復に資する役割を演じられんことを、私は期待する。

 [我部氏の陳述]今回公開を求める3文書の中核は、アメリカ側は沖縄返還に伴う費用負担を全く行わないばかりでなく、沖縄の米軍基地の返還において、移転に伴う費用に加え日本本土にある米軍基地の施設改善費を日本側に支出させることにあったという点です。…交渉の結末は、アメリカ側の提示した基地返還に伴う移設や基地内の施設改善のための費用を軸にして他の項目も一括で支払う(lump sum payment)とする政治決着で日米が合意しました。それは、佐藤首相の訪米直前の1969年11月12日です。その合意に際して、沖縄返還の財政交渉に終始かかわっていた当時の福田赳夫・大蔵大臣が口頭で覚書を読み上げています。
 …(これまで述べてきたように)日本側とアメリカ側が署名している合意文書が(アメリカ国立公文書館などに)存在しているのです。明らかに、日本の外務省や財務省にも同一の合意文書が存在しているはずです。政権を担当し、政策を実施すべき政府が、外国政府との間で自ら合意した取り決めを軽視することは、国民の利益を無視することです。政権の都合と国民の利益のいずれかを優先すべきなのかという基本姿勢を理解しえない政府だとすれば、国民の信頼は消滅します。たとえ当時の政権にとって好ましくない合意であったとしても、「知る権利」「政府の透明性」を高めて、国民信頼をかちとり、そして日本の外交の現実を知らせることこそが国民の正確な外交判断を促していくものだと確信しています。

 1990年代から米国公文書館などで「沖縄密約文書」発掘を続けてきた我部琉球大教授の意見陳述は、具体的例証を提示して迫真力があった。たじたじの国側は〝我部陳述〟の取り扱いに注文をつける一幕もあったが、杉原裁判長は、原告の意見陳述を『雑記録』ではなく、『弁論』として位置づける判断を示した。さらに裁判長が、メディアに「密約の存在」を明らかにしている吉野文六・元外務省アメリカ局長を証人に招くよう原告側に促すなど踏み込んだ姿勢を示した。
 最後に、次回の弁論日程につき裁判長が「1カ月後でいかがですか」と問いかけたところ、国側は「2カ月の準備期間」を要請。結局、「8月25日第2回口頭弁論」を決定したが、裁判長は国側に向かって「2カ月もあるので充実した書面が出ることを期待します」と念を押して、閉廷した。

▽どう報じるか? マスコミの問題意識と報道姿勢

 ついで午後6時から弁護士会館で原告・弁護団の記者会見があり、引き続き報告集会も開かれた。小町谷育子弁護士は「裁判長が冒頭から文書の廃棄につき国側に説明を求めるなど、今までにない積極姿勢に裁判長の決意を感じる」と感想を述べたが、他の原告・弁護団メンバーも〝訴訟指揮〟ともいえる裁判長の姿勢に好感を示し、今後の展開に期待する発言が目立った。「個人の力ではなく、集団が動き出したことが裁判所の変化につながったと思う」(西山太吉氏)との見方もうなずける。
 また、裁判長が「吉野氏の証人喚問」を要請した点を評価、直ちに弁護団が接触することになった。高齢のため出廷が困難なら出張尋問をとの提案もあり、吉野証言をぜひ引き出してもらいたい。

 報告集会の中で「沖縄密約問題は過去のことではなく、現在のグアム移転など日米軍事再編につながる重大問題である。各メディアはもっと強い問題意識をもって報道してもらいたい。今こそマスコミの姿勢が問われている」との指摘や要望が多くの方から出された。
 沖縄弁護士会所属の岡島実弁護士が席上、「沖縄と本土の情報格差が大きい。この種の報道は、沖縄に比べて本土マスコミは殆ど取り上げず、その格差は100対1くらいだ」と発言した。〝100分の1〟はともかくとして、冷淡な本土マスコミへの痛烈な指摘と受け止めたい。

 そこで、本土と沖縄の主要各紙が6月17日朝刊にどう報じたかを点検したので、具体的な内容を提示しておきたい。
 在京6紙のうち「密約文書開示訴訟」を報じたのは『朝日』『毎日』『東京』3紙で、『読売』『日経』『産経』3紙は全く扱っていなかった。密約訴訟自体をどう見るかは各新聞の自由だが、好むと好まざるに拘わらず、論議が続いている裁判を1行も報じなかったのは何故か。まさかと思って、何回も読み直したが見当たらなかった。

 『朝日』は社会面に<密約文書『ない理由を示せ』・国に裁判長要請>の4段見出しを掲げ、国側に説明責任を求めた点を重視、裁判長発言を引用して詳しく報じた。『毎日』は第3社会面に<国側『文書保有せず』・初弁論で争う姿勢>の3段見出し。『東京』は第2社会面に<元局長に証人依頼を・沖縄『密約』で裁判長>の2段見出しだった。司法記者に「情報開示」を求めた異例の裁判との視点があれば、訴訟の本質を読者に伝えるべきテーマであり、『朝日』の記事・扱い方を妥当と考える。

 沖縄県紙はどう報じたか? 『琉球新報』は1面に<国に『十分な説明』要求・裁判長、整合性に疑問呈す>の4段見出し。さらに社会面に<文書『当初は保有?』・裁判長が積極質疑>の4段見出しで関連記事を伝えた。『沖縄タイムス』は1面に<元外務省局長の尋問促す・原告側が申請検討>の4段見出し。これを受けて社会面に<国は米側文書の説明を・裁判所が『異例の指揮』>の4段見出しで報じた。
 両県紙の問題意識、紙面内容と扱い方に共通点があり、沖縄の〝戦後の苦悩〟の一端を反映しているとも感じた。その記述は、裁判長の発言、姿勢などを客観的に報じており、「沖縄県紙だから…」の誇張がなかった点でも、行き届いた紙面と評価できる。

 「沖縄密約」問題をケーススタディーとして考察した論稿であり、新聞の優劣を軽々に論じるつもりのないことを、お断りしておく。ただ、ニュース報道に当たって、思想・信条に凝り固まった判断を下してはならないと思う。ニュースを敏感に捕らえ、問題の背景や真実に迫ることこそ、ジャーナリズム永遠の課題なのである。




2009年05月03日10時41分
検証・メディア

「沖縄返還密約はあった」 政府の「文書不開示は不当」と提訴 


  太平洋戦争敗北から64年、沖縄返還によって「戦後は終わった」と言われてからも37年の歳月が流れた。しかし、沖縄には米軍基地が根強く存在し、なお重大な課題・疑惑を残したままだ。「沖縄は『日米同盟』の要(かなめ)」と喧伝されているが、果たして基地を現状のまま維持すべきか否かを再検討する必要に迫られている。

 1960年代後半から70年代初めにかけて行われた沖縄返還交渉での「密約」をめぐるナゾはいぜん解けず、戦後政治史に汚点を印したまま未だにホットな論争が続いている。
 佐藤栄作政権下の30数年前、西山太吉・元毎日新聞記者が「米国が支払うべき軍用地復元補償費400万㌦を日本側が肩代わりした『密約文書』が存在する」という衝撃的スクープを政府に突きつけたのが発端。国家公務員法違反(秘密漏洩の教唆)に問われた西山氏は有罪判決を受けたあと故郷に蟄居していたが、2000年と02年の米外交文書公開で「沖縄返還密約の存在」が明らかになったため、05年5月名誉回復の「国家賠償訴訟」を提起した。

 06年2月、交渉当事者だった吉野文六・外務省アメリカ局長の「密約を認める」発言がセンセーションを巻き起こし、西山氏側への〝追い風〟にもなった。しかしその後も歴代日本政府は「密約の存在」を否定し続け、東京地裁→東京高裁→最高裁での審理の末、08年9月2日「上告理由に当たらない」として「西山氏敗訴」が確定した。これに対し西山氏支援グループは直ちに「情報公開請求」を政府に迫ったが、10月2日これも「文書不存在」を理由に却下されてしまった。

▽公開された米国外交文書に動かぬ証拠

 沖縄密約訴訟の経緯を簡単に振り返ってみたが、情報公開への問題意識を共有する有識者と弁護団は09年3月16日、外務省と財務省が「文書不存在」を理由に文書開示しなかったのを不服として、国に不開示処分取り消しを求める訴訟を東京地裁に提起した。原告は、桂敬一・柴田鉄治両氏を代表者に総勢25人。西山太吉・奥平康弘・我部政明・山口二郎・澤地久枝氏らが名を連ね、同時に清水英夫氏ら30人の弁護団も発足した。

 公表された「情報開示請求」の趣旨は、①三文書の不開示決定の取り消し、②三文書の開示決定、③慰謝料1人10万円の支払い、である。
 開示を求めた三文書とは、▼1969年12月2日付「柏木雄介(大蔵省財務官)・ジューリック(米財務省特別補佐官)文書」、▼71年6月11日付「吉野文六(外務省アメリカ局長)・スナイダー(駐日アメリカ公使)文書」、▼同年6月12日付「吉野・スナイダー文書」で、これら秘密文書は2000年以降、米国外交文書公開で既に明らかになっている。

 ところが、藪中三十二外務次官は、3月16日の記者会見で「日本政府の立場は明確で、密約はない」と従来の主張を繰り返し、提訴について特にコメントすることはない」と口を閉ざしたままだ。

 2000年の米国公文書公開で「密約の存在」が表に出てからの流れをウオッチしてきたが、今回の「情報開示」提訴は、極めて重大な関門と考えられる。ところが、各メディアの扱いが、ほんの一部を除き冷淡だったのは何故だろうか?

▽〝問題意識欠如〟の紙面扱いが気がかり

 在京六紙(3・17朝刊)の中で、東京新聞が第二社会面に「沖縄密約文書『不開示不当』と提訴/学者ら、処分取り消しを求める」との3段二本見出し。妥当な扱いと思って、他紙と読み比べたところ、『日経』が第二社会面2段扱いのほかは。朝日・読売・毎日三大紙は、中面の第三社会面に1段(ベタ)扱い。『産経』は掲載していなかった。

 今回の提訴の重みをどう判断したかが、紙面扱いの差になったに違いないが、中面での「お知らせ」的ニュースで処理した点に〝問題意識の欠如〟を感じざるを得ない。特に『朝日』は、米外交文書公開などを精力的に報じていたのに、この〝落差〟は何に起因するのか。また「西山裁判」の矢面に立たされてきた『毎日』が、ミニニュース・最小見出しで処理した(記事量はかなりあったが)点は甚だ疑問である。各紙の扱い方の優劣を判定するつもりはないが、紙面ウオッチャーとしての感慨を率直に記したことを了解いただきたい。

 なお、県紙にざっと目を通したところでは、提訴記事を掲載した新聞でもベタ扱いが多かった。突出していたのは沖縄県の二紙だったが、沖縄タイムスが一面二番手(4段見出し)とし、社会面二番手で関連記事を掲載していた。琉球新報は第二社会面2段扱いだったが、両紙とも翌3・18付社説に取り上げていた。「沖縄密約訴訟」の節目と認識して、社論を掲げた姿勢を多としたい。

 「訴状は『密約』が米軍駐留に巨額負担する制度の源流であると指摘する。米軍受け入れ国の中で拠出額が突出する『思いやり予算』、そして米軍再編に伴い沖縄海兵隊八〇〇〇人をグアム移転する経費負担へと通じているとする。
 情報開示を求める原告は、民主国家のあり様を問う。『国民に情報を与えないか、もしくは情報を獲得する手段を与えなければ、政府は真の国民の政府とはなりえない』。米国の情報公開によって、日本に支払う義務のない返還軍用地の原状回復費四〇〇万㌦、短波放送中継局(ボイス・オブ・アメリカ)の国外移転費一六〇〇万㌦を日本が肩代わりした、という事実が明らかになっている。さらに米公文書によると、基地施設改善移転費六五〇〇万㌦の『秘密枠』も存在した。基地従業員の労務管理費を日本が負担することも明記されている。『思いやり予算』の鋳型がつくられた。日本の米軍受け入れ経費は全欧の二倍だ。
 原告が指摘する『巨額負担の源流』を政府はこれまで否定している。ほかに疑惑はまだまだある」(沖縄タイムス社説)。

 「米国で開示された文書の一部は沖縄公文書館でも開示されている。もっと言えば、密約を結んだ当事者である元外務省高官の吉野文六氏が、二〇〇六年に自ら報道機関や研究者に事実を告白し、密約の存在も認めている。
 ……『うそつきは泥棒の始まり』という。政府が『密約』を否定する理由は何か。よもや国民の血税を盗み、米国に貢いだ事実を隠蔽し続けるためではないだろう。裁判は日本の民主主義の『実相』を問うものだ。政府は事実を開示し、きっちりと説明してほしい」(琉球新報社説)。

▽「国民の知る権利」に真剣な取り組みを

 情報公開は民主主義国家の責務だが、30数年前の「密約」を隠蔽し続ける日本政府の壁が頑強なため、「情報開示」を勝ち取るための〝闘い〟は今後も厳しさが予想される。3月16日「密約文書開示」提訴を終えたあと、原告・弁護団は記者会見に臨んだ。原告共同代表の桂敬一氏が沖縄密約訴訟の発端から今回の「文書開示」提訴までの経緯と重大な意義を語ったあと原告・弁護団数人が決意を述べ、緊張した雰囲気に包まれた。

 清水英夫・弁護団長は「民主主義の最大の要件は透明性、公開性、行政過程の公開。1999年情報公開法を作った。この国が開かれた国か否か、当訴訟の意味は重い。日本の民主主義を問う裁判が当訴訟の意味だ」と語った。
 30数年前から「沖縄返還密約」問題を追い続けてきた澤地久枝さんが「米国では無名の一個人でも申し出れば情報公開に応じ、コピーも出してくれる。密約問題は過去の出来事ではない。この国の主権者は誰か、国民はもっと権利と義務を自覚して欲しい。国家が隠している結果の運命は今の、明日の家族や子供たちに降りかかる問題なのです。特にメディアの皆さんには強い問題意識を持って頑張っていただきたい」と、若い取材記者に熱っぽく訴えていた姿は、印象的だった。

 弁護団によると、6月16日東京地裁での審理が始まって2カ月1回くらいのペース、2年くらいで第一審を終えるとの予想。いずれにせよ、「秘密文書が存在する」との原告側立証責任が争点になって、裁判は長期化しそうだ。

 提訴前々日の3月14日、民主党の岡田克也副代表が次期衆院選で政権交代した場合の優先課題に関し「やりたいのは情報公開。政権が代わったら隠しているのを全部出す。米国の情報公開で密約は明らかになっており、日本政府が嘘を言ってきたかが分かる」と語ったことが、16日の原告・弁護団会見でも話題になった。
 情報公開への潮流が変化してきた兆しと楽観できないものの、情報開示訴訟に弾みがつくような気がする。「戦後」を引きずってきた沖縄の基地問題は、日本の将来を左右する重大課題との認識が肝要で、今こそ「知る権利」について、真剣な取り組みを新聞・放送全般に要望したい。
(いけだ・たつお=ジャーナリスト)

2009年12月1日火曜日

【沖縄返還】 佐藤・ニクソン大統領共同声明

[文書名] 佐藤栄作総理大臣とリチャード・M・ニクソン大統領との間の共同声明

[場所] ワシントンDC
[年月日] 1969年11月21日
[出典] わが外交の近況(外交青書)第14号,399‐403頁.
[備考] 
[全文]

1.佐藤総理大臣とニクソン大統領は、11月19日、20日および21日にワシントンにおいて会談し、現在の国際情勢および日米両国が共通の関心を有する諸問題に関し意見を交換した。

2.総理大臣と大統領は、各種の分野における両国間の緊密な協力関係が日米両国にもたらしてきた利益の大なることを認め、両国が、ともに民主主義と自由の原則を指針として、世界の平和と繁栄の不断の探求のため、とくに国際緊張の緩和のため、両国の成果ある協力を維持強化していくことを明らかにした。大統領は、アジアに対する大統領自身および米国政府の深い関心を披瀝し、この地域の平和と繁栄のため日米両国があい協力して貢献すべきであるとの信念を述べた。総理大臣は、日本はアジアの平和と繁栄のため今後も積極的に貢献する考えであることを述べた。

3.総理大臣と大統領は、現下の国際情勢、特に極東における事態の発展について隔意なく意見を交換した。大統領は、この地域の安定のため域内諸国にその自主的努力を期待する旨を強調したが、同時に米国は域内における防衛条約上の義務は必ず守り、もつて極東における国際の平和と安全の維持に引き続き貢献するものであることを確言した。総理大臣は、米国の決意を多とし、大統領が言及した義務を米国が十分に果たしうる態勢にあることが極東の平和と安全にとつて重要であることを強調した。総理大臣は、さらに、現在の情勢の下においては、米軍の極東における存在がこの地域の安定の大きなささえとなつているという認識を述べた。

4.総理大臣と大統領は、特に、朝鮮半島に依然として緊張状態が存在することに注目した。総理大臣は、朝鮮半島の平和維持のための国際連合の努力を高く評価し、韓国の安全は日本自身の安全にとつて緊要であると述べた。総理大臣と大統領は、中共がその対外関係においてより協調的かつ建設的な態度をとるよう期待する点において双方一致していることを認めた。大統領は、米国の中華民国に対する条約上の義務に言及し、米国はこれを遵守するものであると述べた。総理大臣は、台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとつてきわめて重要な要素であると述べた。大統領は、ヴィエトナム問題の平和的かつ正当な解決のための米国の誠意ある努力を説明した。総理大臣と大統領は、ヴィエトナム戦争が沖繩の施政権が日本に返還されるまでに終結していることを強く希望する旨を明らかにした。これに関連して、両者は、万一ヴィエトナムにおける平和が沖繩返還予定時に至るも実現していない場合には、両国政府は、南ヴィエトナム人民が外部からの干渉を受けずにその政治的将来を決定する機会を確保するための米国の努力に影響を及ぼすことなく沖繩の返還が実現されるように、そのときの情勢に照らして十分協議することに意見の一致をみた。総理大臣は、日本としてはインドシナ地域の安定のため果たしうる役割を探求している旨を述べた。

5.総理大臣と大統領は、極東情勢の現状および見通しにかんがみ、日米安保条約が日本を含む極東の平和と安全の維持のため果たしている役割をともに高く評価し、相互信頼と国際情勢に対する共通の認識の基礎に立つて安保条約を堅持するとの両国政府の意図を明らかにした。両者は、また、両国政府が日本を含む極東の平和と安全に影響を及ぼす事項および安保条約の実施に関し緊密な相互の接触を維持すべきことに意見の一致をみた。

6.総理大臣は、日米友好関係の基礎に立つて沖繩の施政権を日本に返還し、沖繩を正常な姿に復するようにとの日本本土および沖繩の日本国民の強い願望にこたえるべき時期が到来したとの見解を説いた。大統領は、総理大臣の見解に対する理解を示した。総理大臣と大統領は、また、現在のような極東情勢の下において、沖繩にある米軍が重要な役割を果たしていることを認めた。討議の結果、両者は、日米両国共通の安全保障上の利益は、沖繩の施政権を日本に返還するための取決めにおいて満たしうることに意見が一致した。よつて、両者は、日本を含む極東の安全をそこなうことなく沖繩の日本への早期復帰を達成するための具体的な取決めに関し、両国政府が直ちに協議に入ることに合意した。さらに、両者は、立法府の必要な支持をえて前記の具体的取決めが締結されることを条件に1972年中に沖繩の復帰を達成するよう、この協議を促進すべきことに合意した。これに関連して、総理大臣は、復帰後は沖繩の局地防衛の責務は日本自体の防衛のための努力の一環として徐徐にこれを負うとの日本政府の意図を明らかにした。また、総理大臣と大統領は、米国が、沖繩において両国共通の安全保障上必要な軍事上の施設および区域を日米安保条約に基づいて保持することにつき意見が一致した。

7.総理大臣と大統領は、施政権返還にあたつては、日米安保条約およびこれに関する諸取決めが変更なしに沖繩に適用されることに意見の一致をみた。これに関連して、総理大臣は、日本の安全は極東における国際の平和と安全なくしては十分に維持することができないものであり、したがつて極東の諸国の安全は日本の重大な関心事であるとの日本政府の認識を明らかにした。総理大臣は、日本政府のかかる認識に照らせば、前記のような態様による沖繩の施政権返還は、日本を含む極東の諸国の防衛のために米国が負つている国際義務の効果的遂行の妨げとなるようなものではないとの見解を表明した。大統領は、総理大臣の見解と同意見である旨を述べた。

8.総理大臣は、核兵器に対する日本国民の特殊な感情およびこれを背景とする日本政府の政策について詳細に説明した。これに対し、大統領は、深い理解を示し、日米安保条約の事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく、沖繩の返還を、右の日本政府の政策に背馳しないよう実施する旨を総理大臣に確約した。

9.総理大臣と大統領は、沖繩の施政権の日本への移転に関連して両国間において解決されるべき諸般の財政及び経済上の問題(沖繩における米国企業の利益に関する問題も含む。)があることに留意して、その解決についての具体的な話合いをすみやかに開始することに意見の一致をみた。

10.総理大臣と大統領は、沖繩の復帰に伴う諸問題の複雑性を認め、両国政府が、相互に合意さるべき返還取決めに従って施政権が円滑に日本政府に移転されるようにするために必要な諸措置につき緊密な協議を行ない、協力すべきことに意見の一致をみた。両者は、東京にある日米協議委員会がこの準備作業に対する全般的責任を負うべきことに合意した。総理大臣と大統領は、琉球政府に対する必要な助力を含む施政権の移転の準備に関する諸措置についての現地における協議および調整のため、現存の琉球列島高等弁務官に対する諮問委員会に代えて、沖繩に準備委員会を設置することとした。準備委員会は、大使級の日本政府代表および琉球列島高等弁務官から成り、琉球政府行政主席が委員会の顧問となろう。同委員会は、日米協議委員会を通じて両国政府に対し報告および勧告を行なうものとする。

11.総理大臣と大統領は、沖繩の施政権の日本への返還は、第二次大戦から生じた日米間の主要な懸案の最後のものであり、その双方にとり満足な解決は、友好と相互信頼に基づく日米関係をいつそう固めるゆえんであり、極東の平和と安全のために貢献するところも大なるべきことを確信する旨披瀝した。

12.経済問題の討議において、総理大臣と大統領は、両国間の経済関係の著しい発展に注目した。両者は、また、両国が世界経済において指導的地位を占めていることに伴い、特に貿易および国際収支の大幅な不均衡の現状に照らしても、国際貿易および国際通貨の制度の維持と強化についてそれぞれ重要な責任を負つていることを認めた。これに関連して、大統領は、米国におけるインフレーションを抑制する決意を強調した。また、大統領は、より自由な貿易を促進するとの原則を米国が堅持すべきことを改めて明らかにした。総理大臣は、日本の貿易および資本についての制限の縮小をすみやかに進めるとの日本政府の意図を示した。具体的には、総理大臣は、広い範囲の品目につき日本の残存輸入数量制限を1971年末までに廃止し、また、残余の品目の自由化を促進するよう最大限の努力を行なうとの日本政府の意図を表明した。総理大臣は、日本政府としては、貿易自由化の実施を従来よりいつそう促進するよう、一定の期間を置きつつその自由化計画の見直しを行なつていく考えである旨付言した。総理大臣と大統領は、このような両国のそれぞれの方策が日米関係全般の基礎をいつそう強固にするであろうということに意見の一致をみた。

13.総理大臣と大統領は、発展途上の諸国の経済上の必要と取り組むことが国際の平和と安定の促進にとつて緊要であることに意見の一致をみた。総理大臣は、日本政府としては、日本経済の成長に応じて、そのアジアに対する援助計画の拡大と改善を図る意向であると述べた。大統領は、この総理大臣の発言を歓迎し、米国としても、アジアの経済開発に引き続き寄与するものであることを確認した。総理大臣と大統領は、ヴィエトナム戦後におけるヴィエトナムその他の東南アジアの地域の復興を大規模に進める必要があることを認めた。総理大臣は、このため相当な寄与を行なうとの日本政府の意図を述べた。

14.総理大臣は、大統領に対し、アポロ12号が月面到着に成功したことについて祝意を述べるとともに、宇宙飛行士たちが無事地球に帰還するよう祈念を表明した。総理大臣と大統領は、宇宙の探査が科学の分野における平和目的の諸事業についての協力関係をすべての国の間において拡大する広範な機会をもたらすものであることに意見の一致をみた。これに関連して、総理大臣は、日米両国が本年夏に宇宙協力に関する取決めを結んだことを喜びとする旨述べた。総理大臣と大統領は、この特別な計画の実施が両国にとつて重要なものであることに意見の一致をみた。

15.総理大臣と大統領は、軍備管理の促進と軍備拡大競争の抑制の見通しについて討議した。大統領は、最近ヘルシンキにおいて緒についたソヴィエト連邦との戦略兵器の制限に関する討議を開始することについての米国政府の努力の概要を述べた。総理大臣は、日本政府がこの討議の成功を強く希望する旨述べた。総理大臣は、厳重かつ効果的な国際的管理の下における全面的かつ完全な軍縮を達成するよう、効果的な軍縮措置を実現することについて日本が有している強い伝統的な関心を指摘した


[Title] Joint Statement of Japanese Prime Minister Eisaku Sato and U.S. President Richard Nixon

[Place] Washington
[Date] November 21, 1969
[Source] Public Papers of the Presidents: Richard Nixon, 1969, pp. 953-957, A Documentary History of U.S.-Japanese Relations, 1945-1997, pp.789-793.
[Notes]
[Full text]
1 . President Nixon and Prime Minister Sato met in Washington on November 19, 20 and 21, 1969 to exchange views on the present inter-national situation and on other matters of mutual interest to the United States and Japan.

2. The President and the Prime Minister recognized that both the United States and Japan have greatly benefited from their close association in a variety of fields, and they declared that guided by their common principles of democracy and liberty, the two countries would maintain and strengthen their fruitful cooperation in the continuing search for world peace and prosperity and in particular for the relaxation of inter-national tensions. The President expressed his and his government's deep interest in Asia and stated his belief that the United States and Japan should cooperate in contributing to the peace and prosperity of the region. The Prime Minister stated that Japan would make further active contributions to the peace and prosperity of Asia.

3. The President and the Prime Minister exchanged frank views on the current international situation, with particular attention to developments in the Far East. The President, while emphasizing that the countries in the area were expected to make their own efforts for the stability of the area, gave assurance that the United States would continue to contribute to the maintenance of international peace and security in the Far East by honoring its defense treaty obligations in the area. The Prime Minister, appreciating the determination of the United States, stressed that it was important for the peace and security of the Far East that the United States should be in a position to carry out fully its obligations referred to by the President. He further expressed his recognition that, in the light of the present situation, the presence of United States forces in the Far East constituted a mainstay for the stability of the area.

4. The President and the Prime Minister specifically noted the continuing tension over the Korean peninsula. The Prime Minister deeply appreciated the peacekeeping efforts of the United Nations in the area and stated that the security of the Republic of Korea was essential to Japan's own security. The President and the Prime Minister shared the hope that Communist China would adopt a more cooperative and constructive attitude in its external relations. The President referred to the treaty obligations of his country to the Republic of China which the United States would uphold. The Prime Minister said that the maintenance of peace and security in the Taiwan area was also a most important factor for the security of Japan. The President described the earnest efforts made by the United States for a peaceful and just settlement of the Viet-Nam problem. The President and the Prime Minister expressed the strong hope that the war in Viet-Nam would be concluded before the return of the administrative rights over Okinawa to Japan. In this connection, they agreed that, should peace in Viet-Nam not have been realized by the time reversion of Okinawa is scheduled to take place, the two governments would-fully consult with each other in the light of the situation at that time so that reversion would be accomplished without affecting the United States efforts to assure the South Vietnamese people the opportunity to determine their own political future without outside interference. The Prime Minister stated that Japan was exploring what role she could play in bringing about stability in the Indo-China area.

5. In light of the current situation and the prospects in the Far East, the President and the Prime Minister agreed that they highly valued the role played by the Treaty of Mutual Cooperation and Security in maintaining the peace and security of the Far East including Japan, and they affirmed the intention of the two governments firmly to maintain the Treaty on the basis of mutual trust and common evaluation of the international situation. They further agreed that the two governments should maintain close contact with each other on matters affecting the peace and security of the Far East including Japan, and on the implementation of the Treaty of Mutual Cooperation and Security.

6. The Prime Minister emphasized his view that the time had come to respond to the strong desire of the people of Japan, of both the mainland and Okinawa, to have the administrative rights over Okinawa returned to Japan on the basis of the friendly relations between the United States and Japan and thereby to restore Okinawa to its normal status. The President expressed appreciation of the Prime Minister's view. The President and the Prime Minister also recognized the vital role played by United States forces in Okinawa in the present situation in the Far East. As a result of their discussion, it was agreed that the mutual security interests of the United States and Japan could be accommodated within arrangements for the return of the administrative rights over Okinawa to Japan. They therefore agreed that the two governments would immediately enter into consultations regarding specific arrangements for accomplishing the early reversion of Okinawa without detriment to the security of the Far East including Japan. They further agreed to expedite the consultations with a view to accomplishing the reversion during 1972 subject to the conclusion of these specific arrangements with the necessary legislative support. In this connection, the Prime Minister made clear the intention of his government, following reversion, to assume gradually the responsibility for the immediate defense of Okinawa as part of Japan's defense efforts for her own territories. The President and the Prime Minister agreed also that the United States would retain under the terms of the Treaty of Mutual Cooperation and Security such military facilities and areas in Okinawa as required in the mutual security of both countries.

7. The President and the Prime Minister agreed that, upon return of the administrative rights, the Treaty of Mutual Cooperation and Security and its related arrangements would apply to Okinawa without modification thereof. In this connection, the Prime Minister affirmed the recognition of his government that the security of Japan could not be adequately maintained without international peace and security in the Far East and, therefore, the security of countries in the Far East was a matter of serious concern for Japan. The Prime Minister was of the view that, in the light of such recognition on the part of the Japanese Government, the return of the administrative rights over Okinawa in the manner agreed above should not hinder the effective discharge of the international obligations assumed by the United States for the defense of countries in the Far East including Japan.

The President replied that he shared the Prime Minister's view.

8. The Prime Minister described in detail the particular sentiment of the Japanese people against nuclear weapons and the policy of the Japanese Government reflecting such sentiment. The President expressed his deep understanding and assured the Prime Minister that, without prejudice to the position of the United States Government with respect to the prior consultation system under the Treaty of Mutual Cooperation and Security, the reversion of Okinawa would be carried out in a manner consistent with the policy of the Japanese Government as described by the Prime Minister.

9. The President and the Prime Minister took note of the fact that there would be a number of financial and economic problems, including those concerning United States business interests in Okinawa, to be solved between the two countries in connection with the transfer of the administrative rights over Okinawa to Japan and agreed that detailed discussions relative to their solution would be initiated promptly.

10. The President and the Prime Minister, recognizing the complexity of the problems involved in the reversion of Okinawa, agreed that the two governments should consult closely and cooperate on the measures necessary to assure a smooth transfer of administrative rights to the Japanese Government in accordance with reversion arrangements to be agreed to by both governments. They agreed that the United States-Japan Consultative Committee in Tokyo should undertake overall responsibility for this preparatory work. The President and the Prime Minister decided to establish in Okinawa a Preparatory Commission in place of the existing Advisory Cornmittee to the High Commissioner of the Ryukyu Islands for the purpose of consulting and coordinating locally on measures relating to preparation for the transfer of administrative rights, including necessary assistance to the Government of the Ryukyu Islands. The Preparatory Commission will be composed of a represen-tative of the Japanese Government with ambassadorial rank and the High Commissioner of the Ryukyu Islands, with the Chief Executive of the Government of the Ryukyu Islands acting as adviser to the Cornmission. The Commission will report and make recommendations to the two governments through the United States-Japan Consultative Committee.

11. The President and the Prime Minister expressed their conviction that a mutually satisfactory solution of the question of the return of the administrative rights over Okinawa to Japan, which is the last of the major issues between the two countries arising from the Second World War, would further strengthen United States-Japan relations, which are based on friendship and mutual trust and would make a major contribution to the peace and security of the Far East.

12. In their discussion of economic matters, the President and the Prime Minister noted the marked growth in economic relations between the two countries. They also acknowledged that the leading positions which their countries occupy in the world economy impose important responsibilities on each for the maintenance and strengthening of the international trade and monetary system, especially in the light of the current large imbalances in trade and payments. In this regard, the President stressed his determination to bring inflation in the United States under control. He also reaffirmed the commitment of the United States to the principle of promoting freer trade. The Prime Minister indicated the intention of the Japanese Government to accelerate rapidly the reduction of Japan's trade and capital restrictions. Specifically, he stated the intention of the Japanese Government to remove Japan's residual import quota restrictions over a broad range of products by the end of 1971, and to make maximum efforts to accelerate the liberalization of the remaining items. He added that the Japanese Government intends to make periodic reviews of its liberalization program with a view to implementing trade liberalization at a more accelerated pace than hitherto. The President and the Prime Minister agreed that their respective actions would further solidify the foundation of overall United States-Japan relations.

13. The President and the Prime Minister agreed that attention to the economic needs of the developing countries was essential to the development of international peace and stability. The Prime Minister stated the intention of the Japanese Government to expand and improve its aid programs in Asia commensurate with the economic growth of Japan. The President welcomed this statement and confirmed that the United States would continue to contribute to the economic development of Asia. The President and the Prime Minister recognized that there would be major requirements for the post-war rehabilitation of Viet-Nam and elsewhere in Southeast Asia. The Prime Minister stated the intention of the Japanese Government to make a substantial contribution to this end. 14. The Prime Minister congratulated the President on the successful moon landing of Apollo XII, and expressed the hope for a safe journey back to earth for the astronauts. The President and the Prime Minister agreed that the exploration of space offers great opportunities for expanding cooperation in peaceful scientific projects among all nations. In this connection, the Prime Minister noted with pleasure that the United States and Japan last summer had concluded an agreement on space cooperation. The President and the Prime Minister agreed that implementation of this unique program is of importance to both countries.

15. The President and the Prime Minister dis-cussed prospects for the promotion of arms control and the slowing down of the arms race. The President outlined his government's efforts to initiate the strategic arms limitations talks with the Soviet Union that have recently started in Helsinki. The Prime Minister expressed his government's strong hope for the success of these talks. The Prime Minister pointed out his country's strong and traditional interest in effective disarmament measures with a view to achieving general and complete disarmament under strict and effective international control.