2010年3月3日水曜日

【核密約】 沖縄返還


沖縄核密約、合意関与の若泉氏が極秘文書残す
2010年3月3日3時16分

沖縄返還交渉の際、当時の佐藤栄作首相の「密使」として、有事の際の沖縄への核兵器再持ち込みを容認する日米の秘密合意(密約)に関与した故・若泉敬氏=元京都産業大教授=が残した資料の中に、外務省の公電など複数の極秘文書が残されていたことがわかった。「核抜き」返還を定めた日米首脳の共同声明文案も含まれており、秘密交渉のさなかに政府中枢から受け取ったとみられる。若泉氏は生前、「密約」だけでなく共同声明の作成協議にも水面下で関与したことを告白していた。文書はその証言の信用性を裏付けるとみられる。

 明らかになった文書は現物やコピー百数十枚。1994年に刊行された若泉氏の著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋)の編集者だった東眞史(あずま・まふみ)さん(67)が保管していた。

 佐藤首相と当時のニクソン米大統領は69年11月に首脳会談を開き、現地時間の同月21日に沖縄返還に合意する共同声明を発表した。資料の中には、交渉段階の同年8~10月に日本政府が作成した声明案文のコピーが含まれ、「極秘 無期限」の印判があった。連番が「1号」と記されたものもあり、佐藤首相に渡されたものと見られる。

 若泉氏は同書の中で、首相から共同声明について秘密裏の協議を頼まれ、手書きの声明案3案を渡されたと記述。これを基に作成・英訳した5案を相手方のキッシンジャー米大統領補佐官に示し、首脳会談では中間的な案で合意に至るように段取りを打ち合わせたと記していた。資料には若泉氏がキッシンジャー氏との交渉の際に提示した英訳の5草案もあり、著書の説明と遺品の資料は符合する。

 また、沖縄返還交渉の「ヤマ場」といわれた69年9月の愛知外相とロジャーズ国務長官の会談の際、在米日本大使館から外務省に送られた複数の極秘公電も保管されていた。現地時間同月12日の会談内容を伝える公電は、「特秘 大至急」とある。日本側の提案に対し、国務長官が「わらいながらエルサレムの将来とオキナワの核兵器は自分としていつも回避する話題であると発言」したと記し、手の内を見せない米側との交渉の厳しさを伝える内容になっていた。

 佐藤首相とニクソン大統領は首脳会談の際、共同声明とは別に、有事の際に沖縄へ核兵器を再び持ち込むことを容認する秘密の合意議事録を交わしているが、その合意議事録の草案も含まれていた。

 東さんによると、文書は若泉氏が執筆の資料に使い、その後に東さんが事実関係の確認や校正に使うため預かっていたという。「若泉氏には『廃棄してもいい。扱いは任せる』と言われた。『密約』に対する評価は様々だが、その証しとして明らかにした」と話している。(川端俊一)

     ◇

 〈共同声明と秘密合意〉 共同声明の第8項は、沖縄返還を「事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく」「日本政府の政策に背馳(はいち)しないよう実施する」と規定。沖縄に配備されていた核を日本復帰時に撤去する方針を示す一方、有事の際には核を再び沖縄に持ち込める道を残したとみられている。

 一方、合意議事録は、有事の際に米国から事前協議があれば日本は核再持ち込みを容認する内容となっている。

     ◇

■「共同声明」の核兵器取り扱いに関する条項の手書き案文(若泉氏の資料から)

(第一案)

 総理大臣は、核兵器に対する日本国民の特殊な感情及びこれを背景とする日本政府の政策について詳細に説明した。これに対し、大統領は、深い理解を示し、沖縄の核兵器は返還までには撤去される旨を確約した。

(第二案)

 ………………これに対し、大統領は、深い理解を示し、沖縄の返還に当たっては、日米安保条約の事前協議制度に関するその立場を害することなく、右の日本政府の政策に背馳しないよう処置する旨を確約した。

(第三案)

 ………………これに対し、大統領は、深い理解を示すとともに、米国政府の右に関する政策を述べ、米国政府としては、日米安保条約の事前協議制度に関するその立場を害することなく、かつ、日本政府の政策に背馳することなきよう沖縄の返還をはかることを確約した。








佐藤―ニクソンの合意議事録の日本文全文(佐藤私邸で発見されたもの)は以下の通りである。

  一九六九年十一月二十一日発表のニクソン米合衆国大統領と佐藤日本国総理大臣との間の共同声明についての合意議事録

    米合衆国大統領

 われわれが共同声明で述べたとおり、米国政府の意図は、実際に沖縄の施政権が日本に返還されるときまでに、沖縄からすべての核兵器を撤去することである。そして、それ以降は、共同声明で述べたとおり、日米安全保障条約と関連する諸取決めが沖縄に適用される。しかしながら、日本を含む極東諸国のため米国が負っている国際的義務を効果的に遂行するために、米国政府は、極めて重大な緊急事態が生じた際、日本政府との事前協議(A)を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと、沖縄を通過させる権利を必要とするであろう。米国政府は、その場合に好意的な回答を期待する(B)。

 米国政府は、沖縄に現存する核兵器貯蔵地である、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキュリーズ基地を、何時でも使用できる状態に維持しておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できるように求める。

    日本国総理大臣

 日本政府は、大統領が述べた前記の極めて重大な緊急事態の際の米国政府の諸要件を理解して、かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの要件を満たすであろう。

 大統領と総理大臣は、この合意議事録を二通作成し、一通ずつ大統領官邸と総理大臣官邸にのみ保管し、かつ、米合衆国大統領と日本国総理大臣との間でのみ最高の機密のうち取り扱うべきものとする、ということで合意した。


一九六九年十一月十九日
ワシントンDCにて
リチャード・ニクソン
佐藤栄作


核密約決定的裏付け、文書に有識者委強い関心
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091223-OYT1T00010.htm

 沖縄返還交渉をめぐり、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が交わした有事の際の沖縄への核持ち込みの密約を裏付ける決定的文書が22日に見つかったことで、密約を一貫して否定してきた政府は、その存在を認めざるをえなくなった。

 密約に関する分析を進める外務省の有識者委員会も強い関心を示している。

 専門家の間ではこれまで、この文書は佐藤氏によって処分された可能性が高いとされてきた。米国でも見つかっておらず、佐藤氏の密使として米側と秘密交渉を行ったとされる若泉敬・元京都産業大教授(故人)の著書などからその存在がうかがえるだけだった。

 若泉氏が著書で指摘した通り、文書には佐藤、ニクソン両首脳がフルネームで署名していた。日米の密約に詳しい信夫(しのぶ)隆司・日大教授(日米外交史)は「リチャード・ニクソンの『d』の字体が独特で、間違いなく本物の署名だ」と指摘する。

 外務省の内部調査では、沖縄への核持ち込みに関する密約を示す文書は確認されていない。有識者委の関係者は「佐藤氏の遺族が持っていたのだから、密約があった可能性は高い」と指摘。別の関係者は「知らんぷりはできない」と述べ、佐藤氏の遺族からの聞き取りなどに意欲を示した。

 今後の日米安保体制への影響について、専門家の間では、大きな影響はないとの見方が大勢だ。佐藤氏が文書を自宅で保管し、後の首相に引き継がれていなかった可能性が高いためだ。外務省幹部の一人は「引き継がれていない以上、効力はない」と言い切る。

 沖縄の密約に詳しい我部政明・琉球大教授は「今日的な意味はあまりない。米国の現在の戦略は、朝鮮半島での緊急事態の度合いなどに応じて核持ち込みの是非を判断するということではないか」と指摘する。

 密約の存在を認めた場合、「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則との整合性が問われることになる。米軍の核抑止力を維持する観点から、核を搭載する航空機の立ち寄りは可能とする「非核2・5原則」への変更を求める声が高まることも予想される。
(2009年12月23日10時00分 読売新聞)


核密約文書、佐藤元首相邸に…初の存在確認
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091222-OYT1T00775.htm

 沖縄返還交渉を巡り、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領の間で交わされたとされる有事の際の核持ち込みに関する「密約」文書を佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。

 密約の存在を裏付ける決定的な証拠が発見されたことになる。

 外務省はこれまで文書の存在を否定してきた。日米間の密約の存否の検証を行っている外務省の有識者委員会の判断にも大きな影響を与えるのは必至だ。

 佐藤家で発見されたのは、ワシントンで行われた日米首脳会談で極秘に交わされた「合意議事録」の実物。読売新聞社が入手した「合意議事録」の写し(英文2枚)は、1969年11月19日付で、上下に「トップ・シークレット(極秘)」とある。文末には佐藤、ニクソン両首脳の署名がある。

 文書では、米側が「日本を含む極東諸国防衛のため、重大な緊急事態が生じた際は、日本と事前協議を行ったうえで、核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする。米国政府は好意的回答を期待する」とし、有事の際の沖縄への核持ち込みを両首脳が合意したことが記録されている。日本側は「そうした事前協議があれば、遅滞なくその要求に応える」と明記されている。また、「米国政府は重大な緊急事態に備え、沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、すなわち嘉手納、那覇、辺野古、及びナイキ・ハーキュリーズ基地をいつでも使用できる状態に維持しておく必要がある」と記している。

 文書は2通作成され、1通は日本の首相官邸、もう1通は米国のホワイトハウスで保管するとしてある。佐藤氏は首相退陣後、自宅の書斎に私蔵していた。

 佐藤氏が75年に死去した際、東京・代沢の自宅にあった遺品を遺族が整理していたところ、書斎机の引き出しから見つかった。

 机は首相在任時、首相公邸に置かれ、退任後は、自宅に持ち運ばれた。関係者によると、元首相は生前、文書の存在について寛子夫人(故人)も含めて家族に漏らしたことはなかった。佐藤元首相の二男の佐藤信二元通産相は「(元首相は)外遊の際はアタッシェケースに書類を入れて持ち歩いていた。69年の訪米の際も、帰国してその文書をアタッシェケースから書斎机に移したのだと思う」と証言する。

 密約の存在は、返還交渉で密使を務めたとされる若泉敬・京都産業大教授(故人)が1994年に著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋刊)で暴露した。
 (2009年12月22日16時01分 読売新聞)


沖縄核密約文書が存在 佐藤元首相の遺族が保管
2009.12.23 01:22
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091223/plc0912230123001-n1.htm

 沖縄返還交渉中の昭和44年、当時の佐藤栄作首相がニクソン米大統領と交わした有事の際の沖縄への核持ち込みに関する密約文書を佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、判明した。佐藤氏の次男、佐藤信二元運輸相が明らかにした。

 信二氏によると、文書は同年11月の日米首脳会談で極秘で交わされた「合意議事録」。沖縄返還にあたっては核兵器撤去と日米安全保障条約の適用を意味する「核抜き・本土並み」が条件とされていたが議事録では、日本や極東の有事の際には米側は「日本と事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に再び持ち込むことと、沖縄を通過する権利が認められることが必要だ」と要請。日本側は「事前協議が行われた場合、遅滞なくこれらの必要を満たす」と応じた上で「ホワイトハウスと首相官邸のみで保管し、最大の注意をはらい極秘に取り扱う」と確認している。

【小沢一郎論】 魚住昭

小沢一郎の見えない行動、難解な性格、不可解な政策を解き明かす  魚住昭

 一九八九年、チェコスロヴァキアで起きた政治変動はビロード革命と言われた。流血を伴わず、ビロードのようにらかに政治体制の民主化が行われたからである。

 昨年(2009年)八月末の総選挙以来、日本で進行しつつある事態も一種のビロード革命と言って差し支えないだろう。民主党を軸に結集した連立与党が目指す変革は大きくいって二つある。一つは小泉構造改革に象徴される新自由主義(弱肉強食を是とする、むき出しの資本主義)から、社会民主主義(高度福祉国家を理想とする修正資本主義)への政治路線の転換である。

 もう一つは明治以来、実質的に国家を主導してきた中央官僚たちを意思決定過程から排除し、内閣・与党がすべての政策を決定する統治システムをつくりあげることである。

 もし政権がこの二つの目標を達成できたなら、二〇〇九年は二一世紀の日本の分岐点として歴史に刻まれることになるだろう。その成否のカギを握るのは民主党幹事長の小沢一郎である。小沢なくして政権交代はありえなかったし、彼の舵取りがこの国の将来を決めることもほぼ間違いない。

 しかし私たちは彼について何を知っているだろう。新聞やテレビからは肝心な情報が伝わってこない。

 私は検察庁がこだわる小沢周辺の金銭スキャンダルにはあまり関心がない。彼のやっていることが善か悪かもどうで

もいい。知りたいのは、彼の思想の核心にあるものは何かということだ。

 その疑問を解く手がかりを得るため、私は小沢がこれまでに著したテキストを読み、彼の思想を読み解く力と知識を持つ二人の男を訪ねた。以下はその報告である。

 『日本改造計画』
 私がまず会いたかったのは北海道大学大学院教授の山口二郎だ。山口は当代一流の政治学者であり、民主党創立時からのブレーンである。総選挙直後に彼がウェブマガジン「魚の目」に発表した論文は政権交代の意味を的確に捉えていた。

 それによると、四年前の総選挙で国民は「民営化と規制緩和によって政府の領域を縮小することが、官僚や族議員の既得権を奪い、公正な社会をもたらす」と期待した。だが「その後の景気回復にもかかわらず労働者の賃金はむしろ下がり続け、貧困と不平等が広がった。そして、小さな政府路線は、単に強者の貪欲を広げるだけで、医療や労働を破壊したことが明白になった」と山口は言い、「人々は改めて私利私欲を超えた公共領域の必要性を再確認し、政府の役割を期待することで選挙での選択」をしたと分析し、こう述べた。

 「いかに敵失(魚住注・自民党の失態)が大きいとはいえ、民主党が前回の大敗からわずか4年間で政権交代を成し遂げることができたのは、ひとえに小沢一郎前代表の下で、政策を転換し、選挙戦術を変えたからである。民

主党は様々な主張が雑居した政党であったが、小沢は『生活第一』というスローガンの下で、自由放任を旨とする自民党に対して、平等と再分配を追求する姿勢を明確にした。これにより、ようやく二大政党の対立構図が鮮明になった。

 また、風頼みの民主党の政治家に対して、徹底的に地域を歩き、辻立ちをすることで、票を掘り起こす戦法を小沢は命じた。浮ついた構造改革の威光で当選した自民党の政治家の方がむしろ根無し草になったのに対して、民主党には地域や庶民の実感を肌で知る政治家が増えた。今回の選挙で農村地帯の保守の岩盤を打ち砕いて、民主党が大量当選したことも、単なる僥倖ではない。

 山口と小沢の関係は、小沢が自由党党首だった二〇〇三年一月に始まる。山口は小沢側近の平野貞夫(当時・参院議員)の依頼により自由党の研修会で講演した。

 この時、山口は平野と話をして驚いた。それまで山口は、自由党はそれこそ新自由主義の政党だとばかり思っていた。なにしろ、小沢は『日本改造計画』(講談社・一九九三年刊)で米国のグランドキャニオンには転落を防ぐための柵がないという有名なたとえ話を使いながら、自己責任社会への移行を主張していたからだ。しかし、平野は自由党こそ、イギリスの「第三の道」を日本で最も早く、本格的に研究し、取り入れていると主張した。

 第三の道とは、一九九七年に誕生したブレア労働党政権のスローガンだ。第一の道である古典的福祉国家、第二の道であるサッチャリズム・小さな政府論を否定し、グローバリゼーションの時代に社会民主主義や福祉国家の可能性を追求するのが第三の道だ。

 山口が驚いたという旧自由党の変貌。そこに小沢の思想の核心を知る手がかりがあるのではないだろうか。

 小泉自民党との対立軸
 鳩山政権誕生から約一週間後、山口は報道各社からの取材攻勢の合間をぬい、東京・神田神保町でインタビューに応じてくれた。

—山口さんが小沢自由党の変身に驚いた経緯を詳しく話していただけませんか。

山口 私はもともと小沢さんが嫌いで、自社さ政権を支持した人間でしたから彼との付き合いはなかったんです。それが二〇〇三年一月に突然、自由党の研修会に呼ばれた。そのころは自由党が自公の連立政権から離脱して野党になった後でした。

—研修会ではどんな話を?

山口 要するに「第三の道」の話をしたんです。小泉政権の目指す構造改革は新自由主義の「小さな政府」で、こんなことをやったら日本の社会はおかしくなる。格差は広がるだろうし、社会保障も崩壊するだろうし、その時に備えて野党は今からちゃんと理念を準備しておこうと言ったんです。

—平野さんら自由党側の反応は?

山口 自分たちは(ブレア政権のブレーンで「第三の道」を提唱した社会学者)アンソニー・ギデンズの著作をちゃんと読んでいる。京大の佐和隆光さんのようなネオリベ(ネオリベラリズム=新自由主義)批判の経済学者も呼んで話を聞いている。自由党は「第三の道」路線で行くと言っていました。それを聞いて非常に意外な感じがした。九〇年代の『日本改造計画』路線からいつのまに変わったのかなと。

—ちょうどそのころ小沢さんは社民党党首だった「護憲派」の土井たか子さんとも憲法解釈のすり合わせをやっていますね。

山口 そう。あのころは野党が四分五裂状態で自公政権盤石の時代でしたからね。二〇〇一年に小泉(純一郎)が総理になって参院選で勝ち、しばらく選挙がない時期だった。〇三年に民主党と自由党が合併するんですが、その一年近く前に私や土井さんへのコンタクトがあった。小泉が自民党をすっかりモデルチェンジして、しかも路線的にもネオリベと対米一体化で大人気を得た。野党はそれに打ち勝つ戦略を立てられない状態でしたから、小泉自民党との対立軸をつくるには、ある程度社会民主主義的路線を取らざるを得ないという問題意識が小沢さんにあったんだと思います。

小沢自由党は〇三年の民主党との合併前後から「左」にウイングを伸ばし、社民党や民主党左派(旧社会党出身)グループ、それに連合との政策協議を進め、彼らの支持を取りつけている。その節目になったのは〇三年末、民主党左派のリーダー格・横路孝弘と安全保障の原則について「自衛隊は専守防衛に徹し、それとは別組織の国連待機部隊をつくる」など四項目の合意に達したことだろう[注1]。小沢は横路らとの連携で民主党内での勢力基盤を広げ、それが〇六年の代表就任へとつながっていく。山口へのインタビューをつづけよう。

—自由党とのその後の関係は?

山口 〇三年の九月末、民主党と合併する直前に小沢塾[注2]に呼ばれて話をしました。その時、平野さんは自由党末期につくった基本法案が思想的には日本版「第三の道」だという自負をはっきり持っていたし、小沢さんもそれでいこうということだったと思います。

自由党基本法案

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[注1]
合意の翌年〇四年三月に「日本の安全保障、国際協力の基本原則」と題する文書を発表している。この文書では六項目の基本原則が掲げられた
日本の安全保障、国際協力の基本原則

 冷戦の時代は終焉したとはいえ、世界各地においては紛争が頻発している。世界の安全保障と国際協力について確固たる基本原則を改めて定め、確認しておくことは時代の要請でもあり、また、喫緊の課題でもある。

 私共は、我が国の安全保障及び国際協力について、この間慎重かつ精力的に検討を続けてきたが、ここに次の通りの基本原則で一致したので公表する。

< 現 状 認 識 >

1.いまのままでは自衛隊は米国について世界の果てまでも行ってしまう危険性が高い。政府自民党による無原則な自衛隊の派遣に歯止めをかけなければいけない。

2.世界秩序を維持できる機能を有する機関は国連しかない。日本も国連のこの警察的機能に積極的に貢献する。

3.憲法の範囲内で国際貢献するために、専守防衛の自衛隊とは別の国際貢献部隊を作る。

4.現在国連はその機能を充分果たしていない。日本は国連の組織、機能を拡充、強化するようあらゆる機会に国際社会に働きかける。


< 基 本 原 則 >

1.自衛隊は憲法9条に基づき専守防衛に徹し、国権の発動による武力行使はしないことを日本の永遠の国是とする。一方においては、日本国憲法の理念に基づき国際紛争の予防をはじめ、紛争の解決、平和の回復・創造等国際協力に全力を挙げて取り組んでいく。

2.国際社会の平和と安全の維持は国連を中心に行う。それを実現するために、日本は国連のあらゆる活動に積極的に参加する。

3.国連の平和活動への参加を円滑に実施するために、専守防衛の自衛隊とは別に、国際協力を専らとする常設の組織として「国連待機部隊(仮称)」を創設する。待機部隊の要員は自衛隊・警察・消防・医療機関等から確保する。また、特に必要があるときは自衛隊からの出向を求める。

4.将来、国連が自ら指揮する「国連軍」を創設するときは、我が国は率先してその一部として国連待機部隊を提供し、紛争の解決や平和の回復のため全面的に協力する。

5.国連軍が創設されるまでの間は、国連の安全保障理事会もしくは総会において決議が行われた場合には、国際社会の紛争の解決や平和と安全を維持、回復するために、国連憲章7章のもとで強制措置を伴う国連主導の多国籍軍に待機部隊をもって参加する。ただし、参加の有無、形態、規模等については、国内及び国際の情勢を勘案して我が国が主体的に判断する。

6.安保理常任理事国の拒否権行使等により安保理が機能しない場合は、国連総会において決議を実現するために、日本が率先して国際社会の意思統一に努力する。

以 上

  2004年3月19日
横 路  孝 弘


[注2]
小沢一郎政治塾。二〇〇一年に自由党の機関として設立され、民主党との合併以降も小沢氏が塾長を務める私塾として存続。「小沢チルドレン」と呼ばれる政治家を多数輩出している

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路線転換
その後、山口が小沢と再び会ったのは〇五年のことだ。この年九月に郵政民営化をめぐる解散総選挙が行われ、その前後に二回にわたって小沢と対談した。

山口によれば総選挙大敗後、岡田克也に代わって民主党代表に選ばれた前原誠司は、小泉の新自由主義路線に打ち勝つには社民主義の福祉国家路線を掲げるしかないという論理的必然をまったく理解せず、「自民党と改革競争をする」などと口走っていた。

小沢との対談で、山口が米国型の市場原理主義か、セーフティネットで最低限の国民の生活を保障する西欧型「第三の道」か、その形の二大政党制が世界的には一般的だと水を向けると、小沢はこう言った。

「僕の二大政党論もそうです。アメリカ型の強い者が勝てばいい、という類の発想はとる必要もないことですから。小泉的な手法、イコール単なる官僚統制だけが強まる結果、何が国民にもたらされるかは、もう分かり切っています。そんな遠い先ではなく、近い将来に破綻を来す。財政だけではなく社会的に国として破綻する」

小沢はさらに持論の国連中心主義と小泉の対米一体化路線との違いを強調し「二一世紀の平和の哲学、共生の哲学を日本から発信するという志を持ちたい」と述べた。

この山口・小沢対談は民主党の機関紙『プレス民主』に掲載され、翌年二月の偽メール事件[注3]をきっかけに

誕生する小沢民主党の方向性を明確に指し示すものとなった。私は山口に小沢との対談の経緯を尋ねた。

山口 僕は対談前の〇五年春から夏にかけて英国に留学していて、英国の選挙を見てきたし、ヨーロッパでのナチスドイツ崩壊六〇周年のいろんなイベントを見てきたんです。それで、靖国参拝にこだわる小泉路線はいかに国際的孤立の道をたどっているかということを説明し、やはり憲法九条の理念をしっかり保ちながら日本の戦略をつくっていくべきではないかと言った。そうしたら小沢さんもそうだ、そうだと言って意気投合しましたよ。

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[注3]
二〇〇六年二月に民主党の永田寿康衆院議員が、衆院予算委員会で提示したメールのコピーに端を発する。このメールは、総選挙出馬に際して、堀江貴文・ライブドア元社長が武部勤・自民党幹事長の次男に三〇〇〇万円を送金するよう指示した社内文書とされたが、後に捏造だったことが判明。前原誠司議員が民主党代表を辞任した。永田議員も議員辞職、事件から約3年後の今年1月に自殺している
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—小沢氏は民主党代表に就く前にはっきり路線転換をしたということですか。

山口 私はそう思う。私がなんで九四年の細川政権時代に小沢さんを明確に敵と意識したかというと、北朝鮮の核危機[注4]があったでしょ。あのとき小沢さんは「必要とあらば、自衛隊も出動させて日米一体となってやるべし」という論調だった。集団的自衛権の発動もOK、一気に日米軍事一体化に走る感じに見えた。これは危ないと思いましたよ。

[注4]
北朝鮮による核開発疑惑で、アメリカが空爆も検討しているとされたことから、韓国では住民が避難するなど緊張が高まった。カーター元米大統領が訪朝し、金日成国家主席と会談。関係当事者国の間で「枠組み合意」に達し、沈静化した


地金か?
—政権交代前に小沢民主党が掲げた社民主義的政策は小沢氏本来の地金なのでしょうか。

山口 いや、それは分かりません。地金ではないのかもしれません。小沢自由党が小渕政権の与党に入ったときの

主張を見ると、やはり日米軍事一体化を目指していますよ。

—〇五年の対談後も小沢氏とのコンタクトはありましたか。

山口 〇六年四月に小沢さんが民主党代表になりましたね。そのときの記者会見の内容とか、同年四月の千葉衆院補欠選挙での民主党スローガン(「負け組ゼロへ」)を見ると、前年の『プレス民主』の対談で私が話したことがそのまま出てきたんでビックリしたんです。「あれーっ、小沢は本気か」ってね。

—つまり対談の時は半信半疑だった?

山口 まあね。対談のときは小沢さんは調子を合わせてくれているのかなと思ってました。それにその時は小沢さんが代表になるなんて想像もしていなかったし、副代表の気楽さでものを言ってるのかなと思っていたんですよ。でも〇六年の千葉補選、〇七年の参院選、そして今回の総選挙と小沢さんが「生活が第一」、平和と平等を追求する路線で一貫して走ってきたことは間違いない。

—小沢氏の著作や政治行動を振り返ってみると、彼が昔から二大政党制や小選挙区制度など政治の枠組みの改

革に執着しているのははっきり見てとれます。でも、その二大政党制にしても、どういう理念と理念がぶつかり合って二大政党制ができるのか、肝心の中身が漠然としていたと思うのですが。

山口 そうですね。どういう理念で対決していくのか、それについて彼はほとんど語ってこなかった。彼が熱心なのは二大政党制と政治主導と安全保障です。その安全保障でも彼は護憲派か改憲派か、なかなかよく分からない。ですから彼の来歴は一切不問に付して、彼がいま言っていることを額面通り受け取るしかないと私は思って、この四年間、小沢さんと付き合ってきたんです。政治は目の前の問題を解決することが大事ですから。

—民主党と合併した直後から、小沢氏は連合とのパイプをつくり、そのパイプが政権交代で重要な役割を果たしますね。

山口 これはもうひとえに選挙のリアリズムですよ。選挙を支える実働部隊は労働組合です。やせ衰えたりといえども、地方に行ったら労組は唯一の組織なんです。組織の持っている意味を彼は徹底的に理解している。だから彼は地方を回って連合の幹部と酒を飲んだり、地べたをはうようなことを実践したわけです。するとみんなもう小沢ファンになる。北海道もそうですが、まさに小沢さんが代表してきた、ある種の保守層と労組が完全に今回は提携できた。

小沢さんは保守地盤に食い込んで全部民主党に取り込んだ。都会の選挙は風向きでどっちに転ぶか分からないけど、小沢さんは地方・農村部を完全に自民党からはがした。これはすごい。社民・労組勢力と保守の連携による自民党の追い落としをやってのけた。それは彼の偉業ですよ。


普通の国
山口へのインタビューで浮かび上がったのは小沢の新自由主義から社民主義への百八十度の転換と、安全保障面でのタカ派からハト派もどきへの変貌だ。それが新自由主義・対米追随の小泉路線との対立軸をつくりだし、政権交代につなげるための戦略的な政策転換であることは容易に察しがつく。

言い換えれば、小沢にとっては新自由主義から社民主義への、「小さな政府」から「大きな政府」への転換は政権交代の手段にすぎない。安全保障政策で民主党左派などの合意を取りつけたのも同じ目的のためだろう。


では、小沢は政権交代で何を実現しようというのか。彼の思想を知る最良のテキストはやはり一六年前の『日本改造計画』である。

この本はイラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争から二年後に刊行された。小沢はこの中で日本が多国籍軍に一三〇億ドルも拠出しながら国際的評価を得られなかったことへの苛つきを露わにし、冷戦後の国際情勢に対応できない日本の政策決定・統治システムの機能不全を強調している。

日本の国家機能を回復し「普通の国」になるため規制緩和や市場開放などさまざまな方策を彼は提案しているのだが、そのなかで現在まで変わらぬものは二つしかない。

一つは国際的な武力紛争に対する指針としての国連中心主義だ。『改造計画』で小沢は国連を「国際政治における安全保障の砦」と位置づけ、国連決議に基づく「人的な面」での「国際貢献」、つまり海外派兵の必要性を強調した。それから一四年後の月刊誌『世界』の〇七年一一月号でも、小沢は国連決議に基づかない多国籍軍への海上給油を批判する一方で、国連決議によるアフガンへの自衛隊派遣を推進する考えを示している。

ただし『改造計画』時の小沢の国連中心主義は「アメリカとの共同歩調こそ、日本が世界平和に貢献するためにも合理的かつ効率的な方策」という対米協調路線と表裏一体だが、最近の小沢には米国と一定の距離を置く言動が目立っている。小沢側近の平野によれば、それは国際情勢の主軸が日米関係から米中関係優位に変わったことや、イラク戦争での米国の単独行動主義を目の当たりにした衝撃が大きかったという。


もう一つ、小沢の主張で一貫しているのは中央官僚機構に対する姿勢である。彼は『改造計画』でも官僚政治の変革を唱え、与党と内閣を一体化し、迅速で強力な政治のリーダーシップをうち立てることを目指してきた。

そのために小沢は九三年、自民党を割って出て非自民・細川連立政権を樹立し、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制度への転換を軸とする政治改革を行った。現在、民主党が唱える「脱官僚依存」のスローガンも『改造計画』の延長線上にある。


内在的否定者
こうして過去一六年間で小沢の政策の変わった部分と変わらなかった部分を検証してみると、おぼろげながら彼の特質が浮かび上がってくる。それはたぶん五五年体制下の保守政治家の範疇からはみ出してしまうものだ。

例えば、小沢には岸信介—福田赳夫といった清和会系の政治家が持つ反共イデオロギーへの執着がない。彼は権力奪取のためならブレア政権の政策を採り入れるのを躊躇しないし、日本共産党とも手を結ぶことができる。

かといって池田勇人—前尾繁三郎—宮沢喜一など護憲志向の元官僚が集った宏池会系の政治家とも違う。小沢の父・佐重喜は岩手県水沢市(現・奥州市)を地盤とした生粋の党人派政治家で弁護士だった。一郎は日大大学院で司法試験勉強中の一九六八年(昭和四三年)に佐重喜が急死したため、翌年後継者として政界にデビューした。


小沢はイデオロギー色が希薄で、党人派を代表する田中角栄の派閥に入った。田中は公共事業による所得の再分配を通じてゼネコン関連企業や地元住民の票を吸い上げ、勢力を拡大してきた政治家であり、官僚政治の枠内での利害調整のエキスパートだった。


西松建設献金事件[注5]でクローズアップされた小沢の集金・集票システムは明らかに田中派の系譜に連なるものだ。だが、小沢の政治行動には、田中と違い、官僚主体の統治システムそのものを破壊しようとする強い衝動がある。

その点で朝日新聞の政治記者・早野透が『小沢一郎探検』(朝日新聞社・九一年刊)のなかで、小沢を田中の「内在的否定者」と評したのは的確だったと思う。しかし、ならば、なぜ田中派は小沢という「内在的否定者」を生んだのか。小沢のラディカル(根源的)な改造計画の行き着く先はどこか。

私は元外務省国際情報局主任分析官の佐藤優を訪ねた。彼ほど政治家の実像を知り、その内在論理を分析できる人はいない。佐藤に聞けば小沢思想の核心に突き当たるのではないか。

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[注5]
西松建設からの寄付を、政治団体からのものと偽って政治資金報告書に記載したなどとして、東京地検特捜部が二〇〇九年三月に小沢氏の公設秘書・大久保隆規氏を逮捕。小沢氏は検察を批判し、代表を辞任するつもりはないとしたが、党内にも辞任を求める声があり、五月に代表を辞任した
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「普通」の保守政治家?
東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテルの喫茶室で私はこう切り出した。

「私には小沢氏が戦後の政治風土の中で非常に異質な存在に見えるんです。彼には、例えば安倍晋三元首相のように天皇を軸にした復古的な価値観がない。といって、田中角栄や野中広務氏とも違う。田中には郷里・新潟をはじめとした『裏日本』の近代化・地方への所得再分配というビジョンがあった。

野中氏は部落差別の壁を乗りこえることを生涯のテーマとしてきた。でも、小沢氏の言動からは自らの出自や被抑圧体験と密接に結びついた理念やテーマが見えてこないんです」

佐藤からは意外な答えが戻ってきた。

「うん。小沢さんには田中さんのように高等小学校卒で、学歴が極端に低いといった点もありませんね。ただ、裏返て考えると天下の副総裁、金丸信さんと小沢さんは(似てませんか)? 私は自分が身近に接触した政治家が鈴木宗男さんをはじめほとんど経世会だった。そのせいで経世会的なものを空気のように感じるんですね。その私から見ると小沢さんはごく普通の経世会的な政治家ですね」

金丸信は山梨県の裕福な造り酒屋に生まれ、東京農大卒。中曽根内閣で自民党幹事長をつとめ、その後、党副総裁になり「政界のドン」と言われた。八九年(平成元年)には前首相・竹下登の反対を押し切って四七歳の小沢を党幹事長に起用した。小沢が政界の実力者として注目されるのはそれからである。

小沢を「普通の経世会的な政治家」という佐藤の言葉に私ははじめ戸惑った。すでに触れたように私は小沢に経世会の系譜と断絶したものを感じていたからだ。だが、佐藤の解説をよく聞くと、それは私が経世会を単なる利権追求集団としか見ていなかったためだったことが後で分かってくる。

—どういう意味で普通なんですか?

佐藤 そこそこ頭がよく、イデオロギー先行でない。戦後民主主義の落とし子である。しかし反戦平和とか護憲とかいう方向にいかない。もう一つは土建屋型の再分配政治の中心にガチッと絡んでいる。だから例えば村岡兼造さんとか、事件に巻き込まれる前の鈴木宗男さんとか、ごく平均的な、権力の論理を良く知ってる保守政治家という認識なんですけどね。

—ふーん、なるほど。

佐藤 だから例えば九三年の『日本改造計画』は、著者の名を小沢一郎から橋本龍太郎や小泉純一郎に変えても不自然じゃないでしょ。あの当時の東西冷戦構造が終わった時点で、それまでの共産主義革命を阻止するために、過剰な形での労働運動への配慮、国民への配慮をやめて、新自由主義的な政策をもたらすという流れですよね。だから『改造計画』の時点では新自由主義政策で自己責任を強化することによって日本の経済を強化して、結果として税収が上がり、国家が強化される。

(小沢は)常に主語は国家ですから、所与の条件の下で国家の財政を極大化するという命題には忠実ですね。その時に新自由主義政策をとるか、社民主義政策をとるかってことは道具に過ぎないです。だから九三年時点で新自由主義を言うのは国益のためには正しい。ところが〇九年において新自由主義を言うのは国を誤らせる。こういうことでしょうね。

—それは、そうかもしれません。

佐藤 ただ小沢さんを理解するうえで重要なところは、人間関係を非常に大切にすることです。しかも彼は自分に対する全面的な忠誠は求めない。例えば官僚でも、藪中三十二さんという外務省の事務次官が新政権でも生き残っている。それはなぜかというと、少なくとも積極的に野党時代の小沢さんを撃つことをしなかったからです。自分の敵以外は味方であるという考え方が平気でできる、数少ない政治家です。

だから人材を活用できるプールが、彼は意外に広いんですよ。官僚の側から見ると、小沢さんはゲームのルールがわかっている。何かあっても彼に直接敵対しなければ、能力本位で人を活用する。

経世会のプラグマティズム
—でも、かつて小沢氏周辺にいた政治家は野中広務、船田元など枚挙に暇がないほど離れて行くか、切られたりしていますね。

佐藤 離れていった人はどこかの時点で反小沢の明示的な行動を取った人なんです。平野さんのように敵対行為を

一度もしたことがない人は最後まで残っている。小沢さんの場合、人間関係を大事にするが人間関係の見直しはないんです。自分に敵対したり、自分の勢力圏に侵入したりするのを一度でもやった者は許さない。だから小沢さんのゲームのルールは非常に厳しいけれどわかりやすい。

「ごく普通の経世会的な政治家」という小沢評を聞きながら、私は田原総一朗の『日本の政治 田中角栄・角栄以後』(講談社・〇二年刊)の一節をふと思い出した。それによると、七二年の田中内閣の成立は日本の権力構造に革命的な変化をもたらした。

戦後の吉田茂以来の歴代首相は、二ヵ月間だけその座にあった石橋湛山を除いて、すべて東大、京大を卒業し、高級官僚を経て政治家となったエリートばかりだった。官界や財界も旧帝国大学出身者が仕切っていたから、彼らはその学閥によって政官財界の頂点に君臨した。帝大出身の政治家を帝大出身の官僚が支え、経団連に集う帝大出身の財界人たちが政治資金を供給する。それが従来の五五年体制だった。

ところが、この体制は牛馬商の息子で高等小学校卒の田中による政権奪取でひっくり返った。田中は首相を辞めた後も、最大派閥の力で政界に君臨した。田中引退後も竹下、金丸、小沢から梶山静六、野中広務に至るまで、旧帝大とは無縁の旧田中派の政治家たちが政治の主導権を握り続けた。

しかも彼らは、小沢ら二世議員を除けば、みな地方出身のたたき上げである。極端な言い方をすれば、田中政権以来、日本の政治は平等志向を内包した非エスタブリッシュメント出身者による「土着的社会主義」の色合いを持つようになった。マスコミが強調する経世会の金権体質はその一側面にすぎない。

—経世会思想の本質は何なのでしょう。

佐藤 徹底したプラグマティズム(実用主義・道具主義)。現実に役に立って、結果を出すものが正しいという思想ですね。正しいものは必ず勝つ。しかし、今までのプラグマティストというのは、(足し算やかけ算の)四則演算しかできないんです。ところが小沢さんは(もっと高度な)偏微分ができて権力の文法が分かっている。だから一見不規則なことが生じてきても、それを文法に則して再整理できる力がある。つまり時代の変化に対応する能力がある。往々にして経世会の政治家にはそれがない。だから途中で沈んでいくわけです。私は鈴木宗男さんを横で見てきたからわかるけど、小沢・鈴木の二人は非常によく似ていますね。

—時代の匂いに敏感という点で?

佐藤 この先どう変化するかという見通しがきいて、その変化に合わせて身を処すことができる。おそらく現役の政治家ではこの二人しかいないと思うけれど、二人には内閣官房副長官と、自民党の総務局長の両方をやったという共通点がある。官房副長官というのは、政治の表の世界で、比較的若い世代の政治家の位置から全体像が見える


官房機密費[注6]を含めて、表の裏世界もわかる。それに対して、自民党の総務局長は、選挙区調整と自民党の裏金まき、あるいは公明党対策をやる。これはほんとうの裏世界です。その二つをやった経験がある、類い希な政治家なんですよ、あの二人は。

—つまり政治の表の裏と裏の裏を……。

佐藤 その両方を見てる。じゃ二人がどうしてその役に就けたかというと、さっき言ったように、時代の変化に対応して

身をかわすことができる、類い希なプラグマティストだからですよ。そしてものすごく醒めていて、権力闘争に非常に敏感だからです。食うか食われるかしかない世界では食う側に回らなくても、食われないためには権力を持たないといけない。政治は怖くないといけないということを良くわかってる人たちなんです。

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[注6]
内閣官房機密費として、官房長官の判断で支出される。その使途については、国政運営上の機密を守るという理由から公表の必要がない。機密費の存在自体は公のものだが、使途が不明なことから「表の裏金」的性質を持つ
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ただし、その表面だけ見ると、単なるマキャベリズムのようなんだけど、そうじゃなくて、彼らのプラグマティズムには天がある(魚住注・『天』とはキリスト教における神、あるいはその人間の行動を規制する、超越的な原理を指している)。思想がある。だから何か自分では言葉にはできないけど、正しいものをつかむ力がある。その力の源泉を突き詰めていくと、鈴木宗男にせよ、小沢一郎にせよ、共同体の生き残り(を目指すこと)なんです。

アソシエーション
—その共同体とは、彼らの郷里・地盤である北海道や岩手県のレベルの話ですか、それとも日本国という意味も含めてですか。

佐藤 国家という意味も含めてです。彼らの観念の中にある国家というのは、我々が日常的に使っている社会という言葉に近い。それは民族共同体よりも、もう少し乾いていて、排外主義的な要素があまりない。小沢さんは在日外国人の地方参政権に対し抵抗感がないでしょう。(小沢にとっては)日本人の血が問題なのではなくて、日本の国のために一生懸命やるのが日本人です。もっと言えば、小沢さんの発想の根底にある共同体はアソシエーション(自覚的共同体)。結社みたいなものです。だから日本を巨大な結社と見ると、それは自己責任論とは、比較的合わさるんです。何もやらないのに、共同体にいるからといって、タダ乗りはダメだよ、少なくとも一生懸命やらないといけませんよ、という発想になる。

プロテスタントで神学者である佐藤の言葉は、私のように宗教とは無縁の世界に生きている者にはなかなか分かりづらい。佐藤の考え方にはキリスト教の神のように、人知を超える超越的な存在を自明のものとする前提があるが、私にはそれがないからだ。ただ、こういうふうに理解したらどうだろう。我々はふだん行動するとき、その場その場で無原則に、あるいは単に快か不快か、得か損かといった感情や打算、習慣に動かされているように思っている。だが、もう少し踏み込んで自らの言動の背後にあるものを探ると、そこに見えざる至上原理や思想が潜んでいる。

私の場合、行動の原理となっているのは家族である。家族という共同体の生き残りのために何をなすべきかという判断が私のすべての行動を規制している。佐藤によれば、小沢や鈴木の政治行動は、もっと広い範囲の自覚的な共同体の生き残りのために何をなすべきかという目的意識に貫かれている。しかもその共同体の統合原理は血縁でも民族でも、後で触れるが、天皇制でもないらしい。


佐藤 その共同体の生き残りという超越的なもの、至上命題を持っているが故に、政治資金はたくさん集めても、小沢さんにしても鈴木さんにしても、自己の生活は非常に禁欲的です。浪費の傾向がない。私も二人をそれぞれモスクワでアテンドした時思ったんだけど、鈴木さんと小沢さんに共通するのは、レジャーという発想がないこと。二四時間仕事、寝る時間以外は仕事している。それ故に鈴木、小沢の側に来る、例えば東大法学部卒のエリート官僚たちは、彼らの引力圏にすぐ吸い込まれてしまう。こういう人が世の中にいるのか、自分たちの周辺で見たことがないと。

それから、彼らは政党に対する態度も、ものすごいプラグマティックですね。党は国家が生き残るために使えばいい。

党のために殉じるっていう発想がない。特に小沢さんは自民党に対する愛着も、自分が作った新進党に対する愛着も、そしてそれを純化して作った自由党に対する愛着も、何もない。

〇〇年に小渕首相と小沢さんとの会談を最後に自由党が与党から離脱し、小渕さんが脳梗塞で倒れた[注7]。

そのきっかけになったのも自民党の看板を下ろせ、下ろさないの話だったでしょう。小渕さんには自民党へのこだわりが

あったけど、小沢さんにはそれがまるでない。

—『改造計画』を読むと、二大政党制を実現するための選挙制度改革や官僚答弁禁止による国会活性化、内閣・与党の一体化などシステム変革への異様な執念を感じます。でもその変革の原動力となる理念や情念といった中身が見えてこない。二大政党制にはこだわるが、その政党間の理念、中身の差異にはもともと関心がないのではないでしょうか。

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[注7]
一九九九年一月に連立参加。同年一〇月に公明党が加わり自自公政権が誕生すると、自由党の主張が連立内で通りにくくなり、二〇〇〇年四月一日に連立から離脱。自由党は分裂し、連立残留組は保守党を結成した。

小渕首相は自由党の連立離脱の翌日に脳梗塞で緊急入院し、翌月亡くなった
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天皇と東大
佐藤 私は、それはちょっと違う視点から見ているんです。立花隆さんの『天皇と東大』(文藝春秋・〇五年刊。天皇と東大という二つの視点から日本の近現代思想史を描いた)を合わせて読むと良くわかると思うんですが、立花さんの発想は根本においては官僚支持なんですよ。日本の政治はどうしようもないから、これは天皇の官吏群によって維持しないといけない。そこが日本を守っていく一つのポイントなんだと。だから立花さんの関心が教養に向かったのは、官僚やそれを支える東大生の能力低下を何とかしないといけないと思ったからです。国家を維持するのは官僚である。国民を代表するのは、能力のあるエリートたちであるという発想です。

それに対して小沢さんの発想は官僚なんて信じない。二大政党制という形にして、政治家に下手を打つと野党に権力を持って行かれるという緊張感を持たせる。与野党が切磋琢磨して、政治家の基礎体力を強化する。そうすることによって、事実上、戦前の天皇の官吏と同じように現在も国家権力を簒奪している官僚群から権力を取り戻す。

その意味では小泉さんがスローガンだけ掲げた反官僚という権力闘争を、小沢さんは実体的にやってるんだと思うんです。

—その説明は腹にすとんと落ちますね。

佐藤 だから彼の原点は、自民党幹事長時代に遭遇した湾岸戦争で自衛隊を海外派兵しようとした時に、内閣法制局長官の答弁で待ったをかけられた[注8]ということですよ。

戦前と同じように官僚たちがデケエ面をしている。検察もそうだ。検事長以上が親任官であることに、検察官達があれだけ重きを置くのは、最終的には天皇の官吏であるとの意識があるからです。小沢さんの権力闘争はそれに対す

る戦いですよ。彼が制度をいじる時のいじり方は、常に官僚の力が弱まる方向になっている。反官僚なんです。その点では小沢一郎というのはデモクラシーの子なんです。彼が今後一番ぶつかるのは天皇ですよ。

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[注8]
一九九〇年一〇月一九日の衆院予算委員会で、工藤敦夫・内閣法制局長官が「国連軍ができた場合、自衛隊は参加できるのか」という質問に対して、「任務が我が国を防衛するものとは言えない国連軍に、自衛隊を参加させることは憲法上問題が残る」と答弁している
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—それは私も、小沢氏や彼の「知恵袋」である平野氏の著書を読んで感じました。東北人である小沢氏は、自己のアイデンティティを天皇家の支配が始まる前の縄文時代の日本人に求めていて、自分を「原日本人」とか「縄文人」とか言っています。これは過去の保守政治家や右翼が天皇家とのつながりにアイデンティティを求める発想とかなり違う。

佐藤 今までは、ある意味では日本全体が総官僚だったわけですよ。自民党は投票によって選ばれる官僚。公務員は試験によって選ばれる官僚と、その二種類の官僚が棲み分けて権力を持っていた。これじゃ日本国家が生き残れない、日本社会は生き残れない、小沢さんはそういう感覚なんでしょうね。

—その感覚が生じる契機になったのが、冷戦構造の崩壊だったのでしょうか?

佐藤 冷戦構造の崩壊後、日本国家はどうやって生き残っていくか。冷戦構造の下では日米安保条約が日本の国体になった。国体を護持するために日米安保条約を護持する。そして日米安保を護持する官僚達が権力を持っていた。この体制を変えないといけないということでしょう。

—安保と象徴天皇が国家統合の原理になり、それを官僚が支えてきたという意味ですね。小沢氏の発想の根底にあるのは反・日米安保体制なんですか。

佐藤 反・日米安保ではなく、日米安保体制、日米同盟の見直しですね。だから「第七艦隊だけで十分日本の安全保障は担保できる」なんていう彼の発言[注9]は案外本音だと思う。米国とはプラグマティックに役に立つ範囲でお付き合いするが、その先は知りませんと。

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[注9]
二〇〇九年二月、在日米軍の再編問題についての発言。「今の時代、前線に部隊を置いておく意味が米国にもない。軍事戦略的に言うと(米海軍)第七艦隊がいるから、それで米国の極東におけるプレゼンスは十分」として、海軍以外の在日米軍は不要とする趣旨で受け止められた
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積極的平和主義
—日米安保の見直しも含め、小沢氏の反官僚的姿勢はなぜ生まれたんですか。

佐藤 経験則だと思う。彼は田中角栄や金丸信のケースを見て、官僚が政治家たちをどういうふうに使うか横で見ていた。そして政治家を切り捨てる時にどういうふうに切り捨てるか、政治家は結局官僚によって使われてるんだということをずっと見てきた。

—そうか、田中はロッキード事件で、金丸は脱税で官僚から切り捨てられた。

佐藤 そう。ロッキード事件までに田中をさんざんヤバイことで使っておいて、事件が起きた時には全員手のひらを返した。金丸についても同じです。小沢さんは検察というのは霞が関の官僚群を凝縮したものであるという正しい認識をしているんですよ。だから彼は、検察だけを潰すことはしない。検察だけを潰せないこともわかってる。霞が関の全体構造を崩す結果として検察が崩れる。

もう一つのポイントは内閣法制局です。彼は宣戦布告をちゃんとしているんです。不意打ちはしない。法制局をやるぞと。法制局がやられるのは司法全体が揺るがされるってことなんですよ。

—我々はふだん法制局と最高裁を別物だと考えているけれど、そうではなく、法制局と最高裁の憲法解釈は連動し

ていて、司法の要になっているという意味ですね。それにしても「憲法の番人」である法制局長官の答弁を禁止するのは、いくらなんでも乱暴すぎると思いましたけど、佐藤さんは?

佐藤 私は非常に結構なことだと思う。これによって憲法改正が遠のいたからです。

—法制局を排除すると海外派兵のため憲法改正をする必要がなくなり、全部解釈改憲で済ませられるからということですか?

佐藤 そう。全部、解釈改憲でいく。ただし解釈改憲だと限界があるんです。これで勇ましい憲法ができない。象徴天皇も崩れない。集団的自衛権を解禁すれば日本のやりたいことは全部できるから九条を変える必要もない。

—では、その関連で、彼が一貫して唱えている国連中心主義の内実は何なんですか。

佐藤 小沢さんの言う国連とは、東西冷戦構造が終わった後の列強による権力の分配機関としての国連なんです。小沢さんの発想は元外交官で日本国際フォーラムの主宰者・伊藤憲一さんが言ってる積極的平和主義と同じで

すよ。どういう内容かというと、いま世界で違法行為を犯すのは、国際テロリストと、それを支持するならず者国家、それから国家として体を成していない破産国家。この三つだけなんです。

この連中に対しては国連のアンブレラで警察活動を行う。これは軍隊を使っていても警察活動だから戦争ではない。

ならず者を放置しておいていいという話にはならないから国際法上の、交戦国の捕虜の地位を与える必要はないんです。そういうならず者に対してアメリカが行う、国連のアンブレラの下での制裁措置に、積極的に加わっていくことを積極的平和主義と定義しているんです。

これからの平和主義は自衛隊を動かすことで実現される。これが積極的平和主義だ。悪事には関わらないという消極的平和主義の時代は終わった。戦争はこの世の中からなくなった。あるのは国連による警察活動だけという考えです。小沢さんの考えもこれです。

帝国主義
—ふーん。その本音は何なんですか。

佐藤 日本は列強だ。列強だから、この中に加わって、うまそうな利権の切り身をちゃんと日本も取るということですよ。だから湾岸戦争だって自衛隊が出動しておかなければ石油利権に手を付けられないじゃないか。つまり(小沢氏の発想は)帝国主義者そのものです。(米国の一極支配が終わり)もう時代は帝国主義になっているんですから、日本にはどういう帝国主義かという選択しかありません。

麻生(太郎)前首相がやろうとしたような頭の少し足りない帝国主義か、鳩山(由紀夫)首相がやるような、勢力均衡論に基づいた数学的発想の、乾いた帝国主義か。その選択でしょ。小沢さんはその帝国主義を支えるドクトリを『改造計画』のころから持っているわけです。かつてソ連が国際連盟を資本家達の合議組織・調整組織と呼んだ。

その後の国際連合はまさに社会主義体制がなくなることによって、帝国主義のセンターとしての国際連合になるんです。小沢さんのはそういう国連中心主義です。

佐藤は小沢に限らず、誰が指導者になっても日本が他国を食い荒らす帝国主義化は避けられないという冷徹な認識をしている。資本が高度に蓄積・集中化されると、余剰資本は新たな市場や投資先を求めて他国に向かう。その援軍としての海外派兵は歴史的必然というわけだ。ただし佐藤はそれを是認しているわけではない。事態をきちんと理解し、そのうえで現実に影響を与える抵抗運動の必要性を佐藤は誰よりも強く感じている。

佐藤 だから国連に金もたくさん拠出してるから安保理の常任理事国になって、国連のアンブレラの下で積極的に海外派兵を行って帝国主義国としての正しい分け前を取る。これは、やっぱり小沢、鳩山さんの発想ですよね。

—その分け前とは石油利権であり、レアメタルであり、穀物であり……。

佐藤 はい。我が日本国家と日本民族が生き残るために、生存権を確保するために必要なものを取るということです。

—資本を海外に投下し、工場をつくったりして現地住民から搾取もする。

佐藤 そうそう。それで雇用が生じるわけだから、現地の住民は幸せなんだという考え方です。

—しかし、小沢さんご本人はそういうことを明確に意識して言っているんですか。

佐藤 わからないでやってるんです。

—えーっ(笑)。

佐藤 わからないで、フワーッとしてやってるわけです。それを理論化するのが我々のような周辺にいる人間の仕事でね。「先生がやっておられるのは、こういうことですね」「大体そんなところだろう」と。

資本の蓄積を十分に遂げた、強い国家が普通の頭で生き残りを考えると、本能的に自分の分け前を増やす行動をとるものなのです。それが(『改造計画』の)普通の国ということです。だから普通の国になれというのは帝国主義国になれってことなんです。第二次世界大戦後のアメリカの対日占領政策の目的は、日本を再び帝国主義国として立ち上がらせないということでしたね。今後、日本が露骨な帝国主義的行動をとると、当然それとは抵触するんです。

—小沢氏らの無意識がそうさせている?

佐藤 無意識です。ただ小沢さんの優れた才能はプラグマティストであること。プラグマティストが勝利する要因は、国民の中にある集合的無意識を抽出する能力なんですよ。

たしかに小沢は自由党末期の〇三年ごろから小泉構造改革路線の行き着く先や、格差拡大・地方切り捨てによって国民の間にひろがっていた不安や危機感を察知し、その対応策を考えている。山口が指摘したように〇五年に民主党代表となった前原が「自民党と改革競争をする」と口走っていたのとは、政治センスにおいて雲泥の差がある。


資本主義の宿痾
—ただ、〇七年一一月に読売グループの渡邉恒雄会長らが裏で画策した大連立騒動がありましたね。あの時は言ってみれば、いつでも海外派兵できる安全保障の恒久法を作るのが狙いだったと思うんですが、その恒久法をちらつかされたとたん小沢さんはパクッと食いつき、党内の反対を受けて取りやめたという経緯があった。手練れの小沢氏にしては理解不能な行動だという感じがするのですが。

佐藤 あの当時は焦りがあったと思いますよ。自民党の権力はそう簡単に崩れないだろうし、民主党が権力を取るには党内左派のみならず社民党にも依存しないといけない。つまり自分がやりたい、根本的な安全保障政策はできなくなるのではないかという焦りですね。だから、私は今後の小沢さんの戦略としては来年の参院選でガチッと勝つ。そうなれば小沢総裁の目も出てきますからね。

その時に安全保障政策で党内左派や社民党が協力しなくてもいい。ただ左派も社民党も与党から出ていかないから日干しにするんです。それで自民党の方から流れ込んだ連中を含めた形で、この『改造計画』で言っている流れで帝国主義国としての再編をしていくというところかなと、僕は見てるんですよ。

だから彼の軸は冷戦後の帝国主義国家としての日本、列強の一つとしての日本というところでは全くブレてない。それは小沢さん個人がやっているんじゃなく、日本という国家が主語になっている。資本主義体制下でこれだけの経済力があって、なおかつこれだけの人口がある国家は帝国主義的再編をしないと生き残っていくことはできないという国家意識なんです。

—それは小沢さん一人が考えていることではなくて、外務省もそうであり……。

佐藤 要するに平均的な官僚、平均的な政治エリートが考えていることです。私が官僚だった時期に自らを置いて

みると、小沢さんの論理が良くわかるのです。あるいは私がいま政治家だったら、外交でどうやれと言われたら、確実に小沢さんのようにする。所与の条件で安全保障の文法だったら、当面それしかない。

マルクス経済学の立場からしても資本主義は必然的に帝国主義になる。それ以外のオプションはない。人が金によって支配されるという資本主義のメカニズムの枠から抜けることはできない。

でも、十把一絡げで帝国主義だからダメなんだ、資本主義だから全部ダメなんだという形では括れない。やはり、よりましな帝国主義、よりましな資本主義はある。だから我々は(他国に)どれぐらいの害悪を与えて、悪事を行う力があるのかということの認識をしていた方が、その悪事を極小化することには役に立つと思う。

我々は資本主義の宿痾から逃れられない。帝国主義国である日本は他国を踏み台にしないと生きていくことはできない。そういう構造の中に組み込まれていると認識することと、それを是認するということはちょっと違うんですよね。ただし中長期的なレンジでは、おそらく帝国主義を超えられる何らかのものがあると思う。問題は、小沢さんがそれを持っているかどうかですね。

—その通りですね。

佐藤 現時点で小沢さんが帝国主義を超える理念を持っているかどうかはわからない。ただプラグマティズムは、さっき言ったように現実の政争のマキャベリズムを超える何かがある。彼の原体験というか、根底にあるものは何か。それはあれではない、これでもないという、否定神学的な言い方しかできないけど、それでも残る超越的なものは何か。それを分かりやすく言うと、共同体の「生き残り」だと思うんですね。

—日本は九条の制限があるから湾岸戦争では巨費を投じた。アフガン戦争では海上無料ガソリンスタンドを作った。

そういう選択肢はこれからの国際社会ではあり得ない?

佐藤 日本の規模になっちゃうと、あり得ない。どっかで血を流さないとダメ。少なくとも血を流す覚悟を示さないと。帝国主義戦争の中で、うちはお金だけ出しますから、みんなは鉄砲玉を送ってください。この理屈は、非常に通りにくい。

ただし、それはあくまで国家の論理なんです。社会の側、国民の側として付き合う必要はない。ただ付き合う必要はないけれども、最終的には、それで押し切られるわけなんですよね。阻止できない。ただその時に付き合う必要はないという形で、どういう論理を構築して、大衆運動を組み立てるかでコミットメントの度合いは変わる。


国家と社会の裂け目
—帝国主義は止められないが、その内容を変える程度のことはできる?

佐藤 その可能性に賭けてみる必要があります。小沢さんを考える場合、もう一つ忘れてはいけないのは西松建設献金事件です。日本の保守政治家はマルクス主義の影響を受けていないから、国家と社会が一体化している。

例外的に国家と社会の裂け目を意識する人は検察にやられた人だけなんです。自分が国家の側にいる間は国家というのは、少なくとも自分との関係においては、守ってくれる暖かいもので、その本質が暴力装置だということは気付かない。ところが小沢さんや鈴木さんは、それに気付かざるを得ない状況に置かれてしまったんです。

国家と社会。私の解釈では「社会」は「世間」に近い概念で、「国家」は官僚機構に支えられた「政府=議会」だ。

「国家」は「社会」の上に乗っかっている装置に過ぎないのに、日本では往々にして社会と国家が混同される。ジョン・ロックが、政府の圧政に対して人民の革命権を対置したのも、その基底に国家と社会(市民社会)は別物という考えがあったからだ。

さて、社会に国家が介入する場合の最も象徴的なことは何だろう。文芸評論家の柄谷行人の『近代文学の終り』(インスクリプト・〇五年刊)から援用しよう。〈国家というものは(中略)収奪によって成立する〉。収奪とは国民や法人、つまり社会に対する課税のことだ。

〈しかし収奪を継続するためには、再分配をしなければならない。つまり収奪する相手を保護し育成する〉。これが社会福祉政策であり、かつての護送船団方式による企業の保護、統制だったといえる。佐藤のいう社会や共同体は、官僚機構と一体化した国家とは別の論理で自律的にまわっているか、自律的であろうとする者たちの集合体だと解してもいいだろう。

—そういえば「参院のドン」といわれた村上正邦さんもKSD事件で小沢氏や鈴木氏と同じような経験をして、変わりしたよね。

佐藤 そう。その経験がない限りは国家と社会は一体なんですよ。

—『改造計画』では国家と社会に加えて小沢さんの自我も一体化している。小沢自民党幹事長個人の湾岸トラウマがそのまま日本国家・社会のトラウマとみなされている。

佐藤 そう思います。だから今の小沢さんに『日本改造計画』を書けと言ったら、こういうふうには書けない。何故ならば検察が自分の方に牙をむいてきたから。一年前の小沢さんだったら同じ書き方をした。その意味で西松建設献金事件以前と以後の小沢さんは、別の人ですよ。だから私は、そこに期待がある。

—なるほど。それは良くわかる。

佐藤 だから小沢さんが事件後に言い出した企業・団体献金の禁止を、みんなはこんなものはカムフラージュじゃないかと言っているけど、そうではない。彼が一律禁止を言い出したのはやっぱり西松建設献金事件の意味を深く考えたから。と同時に、国家の暴力性を彼自身はヒシヒシと感じ始めた。田中角栄や金丸信が受けた仕打ちが何だったか、初めて皮膚感覚でわかったということなんです。

—私も小沢という政治家に本当に興味を持ち出したのは、あの事件からですね。

佐藤 あれから彼は変わった。彼が気が付いたのは、国家と社会が別であるということです。そして政治は社会の側からスタートするんだと思った。それが端的に表れたのが鈴木宗男の衆院外務委員長人事ですよ。もし大久保(隆規)秘書逮捕がなければ、刑事被告人を委員長にするなんて人事はやれなかった。小沢さんはあの人事で不退転の決意を表明した。国家と一体化する官僚に対する宣戦布告です。

—なるほど、小沢氏は初めて社会の側からの国家改造を決意した。

佐藤 そう。国家の真理、ピンポイントは何か。それは外交だ。外交を外務官僚の恣意でやらせない。うんと簡単に言うと、権力を社会の側に寄せようとしてるわけです。権力は国家によって体現されるが、その国家の中で社会にほとんど依存しない、社会から収奪するだけで存在している官僚階級がある。

その官僚階級に極端に国家が引き寄せられるようになった。こういう状況を社会寄りにしないと国家も社会も生き残ることができない。図式的に整理すると、彼がやろうとしているのは、そういうことではないかと思います。

田中派への弔辞

—とすると佐藤さんが最初に言われた、小沢さんは普通の経世会の政治家と大して変わらないということと矛盾しないですか。

佐藤 いや、例えば橋本龍太郎の経済同友会三原則[注10]の中でのユーラシア外交は米国一辺倒ではなく、勢力均衡論に基づいている。金丸信の自民・社会両党訪朝団による、北朝鮮の国交正常化プロセス[注11]。

あれも東アジアにおける戦力バランスの変化を目指している。それから田中角栄の日中国交正常化[注12]、あるいは田中・ブレジネフ会談によるシベリア開発の試み[注13]。

経世会は一貫して、スマートなやり方じゃないんですが、日米関係の見直し、つまり帝国主義的な再編を試みています。冷戦構造下でも、それ以後でも戦後の大きな流れの中で日米安保体制に異議申し立てをしているのも、常に経世会です。清和会は戦後レジームの脱却と言いながら、実は全然その方向で動いていない。

—外交だけでなく、内政面でも経世会の敷いた路線は非エスタブリッシュメント出身者たちによる「土着的社会主義」あるいは日本的社民主義の色合いが濃い。外向けの帝国主義と、内向けの社民主義がセットになっている。常識的には、経世会より清和会のほうが帝国主義的なイメージは強いですけどね。

佐藤 帝国主義的イメージは強いけど、実際はアメリカのアンブレラの中での発想しかない。それは清和会が東西冷戦期の切った張ったの時期に権力を持っていなかったから、本当の権力の文法がわからない。経世会が日米関係の見直しで行き過ぎると、清和会が軌道修正をする。田中角栄が、中国やロシアに接近し過ぎると福田政権が出てきてアメリカとの関係を強める。あるいは中曽根政権が出てきてアメリカとの関係をより強める。そして、経世会の橋本・小渕で対ロ外交がとても積極的に展開されるようになると、清和会の小泉政権が現れて、そこを締め上げて、また元の親米主義的な方向に持っていった。

—確かにそうですね。

佐藤 安倍さんが戦後レジームからの脱却と言っても、その方向性は基本的には戦後レジームの維持です。そういうことを掲げない経世会の方が、実質的なところで日米関係を動かしていますよね。経世会というのは胃袋で考えるグループです。それに対して清和会は頭で考えるグループですよ。

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[注10]
一九九七年七月、経済同友会会員懇談会で、橋本龍太郎首相が日ロ関係改善のために必要なのは「信頼」「相互利益」「長期的な視点」の三原則であると発言した

[注11]
一九九〇年九月、金丸信・元副総理、田辺誠・社会党副委員長らが訪朝し、金日成国家主席と会談。日朝国

交正常化交渉の端緒とされる
[注12]
一九七二年九月、北京で田中角栄首相と周恩来首相が日中共同声明に調印。両国の国交が結ばれた

[注13]
一九七三年一〇月、田中角栄首相とソ連のブレジネフ書記長が会談。天然資源の豊富なシベリアを共同開することや、北方領土問題について話し合われた
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—その胃袋には国内的な胃袋と国外的な胃袋があるんですか。

佐藤 それは一体化していますね。あと自分の胃袋も、政治家としての。

—なるほどね(笑)。

佐藤 経世会はその意味では唯物論的ですよ。飯を食うところ、つまり利権からスタートする。それに対して清和会は観念からスタートする。小沢さんは大きな意味で、日本国家が危険な方向に向かっている中での危険な政治家の一人です。ところが他の政治家と比べた場合、その危険を極小化する力がある。

となると何が重要かというと有識者、世論の声ですね。今起きていることを、どう見るかという分析があまりにも少ない。それから、こいつだって汚いことをしてるじゃないかというような、旧来型のスキャンダリズムに基づいた形での政治資金を巡る批判。しかしそれは、同じ基準でやった場合に、三分の二の政治家が確実に消える。では残りの三分の一は何かといったら、何の役にも立たないような政治家。企業が、献金の必要すら感じないようなレベルの政治家です。

小沢さんの抱えている問題は何かというと、それは政治と金の問題です。やっぱり田中角栄型の、最後の政治家なんです。小沢さんの歴史的な使命っていうのは、田中型政治の弔辞を読むことだと思う。小沢さんは、そこに気が付き始めた。自分自身のところに火が付いて。それが何かと言ったら、企業献金・団体献金の全面禁止。その結果何が起きるかということになると、個人献金だけでやらないといけないと。要するに企業献金というのは、どういうことかと言うと、上場企業だった場合には、無私の精神でやりましたと言ったら、株主に対する背任になるわけですよね。それで何かの目的がありましたと言ったら、贈収賄になるわけですよ。こういう状況から政治を解放しないといけない。そうすると田中型の構図は完全に崩れるんですよね。

では、直接的な利権システム、再分配システム以外のところで、どういうような政治を立てるかっていうことは、これは未知数です。ただ、彼はそれに成功しなければ叩き潰される。これは検察によって叩き潰されるんじゃなくて、デモクラシーによって叩き潰される。だから小沢さんにとっての最大の課題というのは、検察が言うのとは別の意味の政治と金ですよ。ただそれは歴史的に、田中派の出身者しか、この弔辞は読めないんです。

たぶん彼らの中には、どこかに知恵があると思う。そこのところを崩しても、新しい形での集金メカニズムを作って政治を継続することはできるという知恵を出す。

大衆の反逆
—最後にお聞きします。いま日本で起きているのは、良い悪いは別にしても、ある種のビロード革命だと思うんです。

佐藤 その通りです。革命です、これは。その中で、やっぱり鳩山由紀夫・小沢一郎をハブとした形で政局が動いている。

—でもチェコには大衆運動の盛り上がりがあったが、日本にはそれがないのでは。

佐藤 いや、今回の選挙の大衆的な盛り上がりは、すごいものだったと思います。選挙という形で大衆的なエネルギーが吸収された。最近の日本では、沖縄県を除いて、選挙で大衆エネルギーを吸収するメカニズムが明らかにできています。これはやっぱり小泉さんの影響ですね。二〇〇五年の郵政選挙も大衆的な盛り上がりがあった。少なくとも民主主義というフィクションは機能しているってことですよね。だから六〇年安保のような街頭活動をしなくても、選挙で一票を投じることで革命ができる。これはデカイです。特に保守層の支持者は既得権益も全部投げ捨てないと今回の政権交代はできなかった。明らかに短期的には自分達には不利な状況が生じるわけですね。にもかかわらず民主党を支持したのは、このままではこの国が壊れるという草の根の無意識が作用したからでしょう。

—その革命的な政権交代が、小沢という国家主義者を軸にして起きたのは不思議ではないですか?

佐藤 でも、チェコのビロード革命もハヴェルという、どんな状況でも権力奪取をあきらめなかった作家に指導された。

彼は六八年の「プラハの春」が弾圧された後、何度も逮捕・投獄されてもあきらめずにやってきたわけです。日本のビロード革命もそれとそっくりで、どう叩かれても権力奪取をあきらめなかった小沢という人格と結び付いています。

—小沢氏のキャラクターが大衆的な危機感の受け皿になった?

佐藤 そう。より正確に言うと受け皿ができる「場」を作った。さっき魚住さんは小沢さんの理念の中身が見えないと言われたけど、確かに小沢さんの思想は「無」なんです。でも大衆の情念を右から左まで受け止める「場」を作り出す力がある。これって過去の経世会の誰かに似てませんか?

—あっ、金丸信元副総裁ですか?

佐藤 そう。アバウトで思想がなくて、自社大連立を唱えた「政界のドン」です。金丸さんは「場」を作り出す能力において非常に優れていた。小沢さんはその金丸さんの系譜を引いた政治家なんです。

今の日本では明らかに大衆の反逆が起きている。みんな疲れきっているんですよ、競争社会に。受験とか会社で業績を上げることとかに。だからどこかに回帰したい。だけど天皇とか靖国とかいう表象を自民党は消費しすぎたから、そこには戻れない。小沢さんら民主党が頭がいいのは、例えば派遣村を正面から受け止めて、村長の湯浅誠さんを内閣府参与として体制内に入れた。これは、あれが体制に対する異議申し立て運動じゃなく、居場所探しの運動とわかっているからですよ。国民一人一人にどこか居場所を見つけてあげることが国家体制の再編で必要だと分かっている。

—結局、小沢氏が目指すのは、内政でも外交・安全保障でも、帝国主義の時代に対応した国家体制の再編だということですね。彼の思想の「無」と「場」が大衆の不安や危機感を吸収しながら、ドラスティックな変革が進んでいる。ただし、その変革が他国を踏み台にして自分たちの胃袋を満たすためだけのものなら、戦前の二の舞で終わってしまうのではないかという危うさを感じます。

佐藤優の切れ味鋭い分析のおかげで曖昧模糊としていた小沢思想の輪郭が見えはじめた。私たちが彼の思想のなかに希望を見出すとすれば、それは彼が「国家と社会の裂け目」を意識し、権力を社会の側に引き寄せようとする姿勢をもっているからだ。しかし、その一方で、彼が「大きな意味で日本国家が危険な方向に向かっている中での危険な政治家の一人」であることも間違いない。

現在進行中の日本版ビロード革命は、私たちやアジア諸国の人々に再び惨禍をもたらす可能性をはらんでいる。どうしたら私たちはそれを阻み、自由と平等と平和という戦後民主主義の理念を達成できるのだろうか。小沢一郎と日本の新しい政治をめぐる旅はまだ始まったばかりである。